ruboty-template


rubotyにて、Docomoの対話APIを使ったBotを作成してみました。

基本的には、Templateが用意してあるので、それをHerokuにDeployすればいいです。Heroku用のDeploy Buttonも用意されているので楽です。

https://github.com/r7kamura/ruboty-template

https://devcenter.heroku.com/articles/heroku-button

基本的には、SlackでBotとなるユーザーを作成後に、Gatewayの設定を行った後、当該BotユーザーのキーをDeploy画面で指定してやればいいです。あとは、Herokuではお馴染みのことをやるだけなので、わかると思います。注意点としては、Dynoですね。ハマりました。一度動かして戻せば動きました。

作者の方がQiita(中の人でもあった気がする)を書いてるので、そっちのほうが分かりやすいです。

参考

http://qiita.com/r7kamura/items/8d1b98e28154de6030b9

これで、何かしら呼びかければ返事をしてくれるはずです。



hubot-script



hubot-scriptは以下の様な形でCoffeeScriptで書きます。

ちなみにハマったのは、Slack上でURLがプレビューされないことです。改行を入れなければなりませんでした。


module.exports = (robot) ->

大文字小文字問わずhelloとポストされれば反応する

robot.hear /hello/i, (msg) ->
img_url = 'image url'
message = 'world!'
msg.send '#{img_url}'


#{message}

module.exports = (robot) ->

@bot_name helloとすることで反応する

robot.respond /hello/i, (msg) ->
img_url = 'image url'
message = 'world!'
msg.send '#{img_url}'


#{message}




hubot-slack



最近、hubot-slackを使って色々なスクリプトを動かしていた気がします。


$ mkdir hello;cd hello
$ sudo yo hubot
$ ./bin/hubot


こんな感じで動かせるので、それをHerokuにDeployすれば、Requestに応じてくれる。ただし、今回は、Slackで使用するので、hubot-slackというモジュールをインストールして、Deployするんだけど、GitHubで共有開発することも想定に、GitHubにPushして、WerckerでDeployすることにしました。


$ npm i hubot-slack -S


通常は、この後にexternal-scripts.jsonにモジュールを追加しなければならないのですが、hubot-slackの場合は不要。

wercker.ymlは正直、なかなか書きづらかったです。自分が設定するbuild処理はいらないので、書かなかったら、その後、build:を書けと言われたので、適当にスクリプトでも書きます。


deploy:
steps:

- heroku-deploy:<br />    key: $HEROKU_KEY<br />    user: $HEROKU_USER<br />    app-name: $HEROKU_APP_NAME<br />



もちろんそれぞれの環境変数、API Keyとか入ってるのでPrivateに設定。

GitHubからWerckerでHerokuにDeploy後は、Repositoryを持ってきて、Herokuの環境変数を設定します。ちなみに、GitHubとHerokuのRepositoryは、別々に保存しておいたほうが楽です。

SlackHubotを追加。そこで、Tokenなどを取得して設定します。


$ heroku login
$ heroku config:add HUBOT_SLACK_TOKEN=xoxb-1234-5678-91011-00e4dd


あとは、Slack上から/invite bot_nameコマンドを実行すれば、作成したBotがJoinされます。

pingしてHeroku Appのスクリプトが動作するか見てみましょう。


@bot_name ping





小さいもの


小さい世界ってすごいですよね。顕微鏡とかで見られますが。

まるで別世界のようで、まだまだ知らないことたくさんあるんだなと。

この世界を構成する要素、つまり最も小さな要素について、人間は解明しているのでしょうか。調べていませんが、多分、まだまだなんじゃないかとそんな気がします。

もし、それがわかったら宇宙の謎とかも解明できそうなので。

でもどっちのほうが早いんでしょうか。遠くを見て発見するか、足元を見て発見するか。

私は足元の観察のほうが難しいような、そんな気がしています。

以上、全くとりとめのないはなしでした。


もうすぐお正月ですよ


もうすぐお正月です。あまり私はこういった特別な日っていうのは好きじゃなくて、なんでかというと、うーん、なんででしょう。

毎日やることがある程度決まってる人とかにはわかりそうな気がするのですが、休みっていうか、本当の休みみたいな日は存在してなくて、いつもと同じことをやるだけみたいな、そんな感覚なのですが、でも、特別な日における周りの人の雰囲気、街の雰囲気を眺めるのはすごく好きで。

ただ、それは自分の場所じゃないというか、そんなふうな事も少し感じていて、だからこそ、特別な日は好きだけど、好きじゃないということになるのかな。

そんなことをお正月を前にしてちょっと思ったのでした。おわり。


日課とか


いつものメニューというのは日々、変わり行きますので、今年も前年と比べて色々と変わってます。

まず、筋トレ中にものを考えなくなったので、より堕落しているというか、楽な方に変わってしまったものがあり、それが良くない。

筋トレ中やランニング中、意識的に記憶力や思考を呼び覚ます訓練を頭のなかで同時並行的に行う(筋トレ中は数も数えながら)のは、思っていたよりもきつくて、結構続いていたのだけど、ある日を境に全くやらなくなってしまいました。ダメ。

今日からもう一度やり始めないとです。


最近思ったことなど



  • 寝る前にものを食べない

    具体的には、寝る前の6時間以内は食べないようにするとなんか調子良い気がしてる。

  • 食べる前には野菜から

    なにか食事を摂るとき、絶対に野菜を食べたほうが良い気がした。

    人参とか食べやすい。

Twitterなど


Twitterには、「プロフィール欄の自己紹介 = その人の人間判断の基準」という定説があるらしいという話を聞いた。

面白そうだなと思って、自分のを確認してみた。

あとアイコン、ヘッダー画像、プロフィールなんかは似たような感じの人は似たような画像を使ってたり、文章だったりすることもあるようなそんな気がしたのでした。おわり。

Twitter、またなんかつぶやきたいなと思いつつ、なかなか行動に移せないでいる。日頃読んでいるだけなんだけど、やっぱり、継続的につぶやいてる人はすごいし、いつも面白いつぶやき感謝。


本質と非本質


以前、本質の話をした。具体的には、「やがて人に優しくできなくなるのはなぜなのか」という問いについて、「それは利益がないからだ」という答えだ。

しかし、本質的な話というのは、あくまで本質であり、非本質ではない。

物事を理解するには、本質のみではなく、非本質も理解しなければならない。

なぜなのかと問われると、本質は完全ではないからだ。本質の説明は、あくまでポイントの話であり、重要部分の抽出だ。

次に説明するのは、「利益がない」というのはどういうことかだ。

この「利益がない」というのは、正確には、「割にあわない」の意味である。

例えば、1日に24時間休むまもなく働かされたとしよう。そして、報酬として、「1円」を受け取ったとしよう。

この場合、多くの人は、こう思う。「割にあわない」と。

そして、人に優しくしても、それによってもたらされる利益が、自分の考えている結果と違っていて、そして、それが何度も繰り返して起こった場合、人はいつしか「優しくする」ことをやめてしまうだろう。

これは、自然なことだ。

ただし、最初から「やがて人に優しくできなくなるのは、割にあわないからである」と答えるのは、個人的には本質的な答えではないと考えている。

なぜなら、その答えは、非本質的部分を多く含んでいる表現だからだ。

私が述べる答えは、多くに、本質的な答えと非本質的部分を含んだより完成に近い答えがある。そして、最初に説明するのは、前者であり、順を追って後者を述べたりすることも稀ではあるが存在する。

現在、ネタ切れ気味なので、特に、前回書いた記事を補足する形で文章を形成している。

話を戻すと、割に合わないという価値観について少しだけ説明する。

割に合わないというのは、本質的には、心の問題だ。心の持ちようでいくらでも変容させられるものであると考えている。

例えば、上記の例で挙げた1円の報酬についても、今までお小遣いを貰ったこともない子供なら、そのコインは、とても喜ぶものかもしれない。

しかし、大人になるに連れ、それでは足りなくなってくる。より快適に暮らすため、より便利なものを手に入れるため、場合によっては生存のために、より大きな報酬が必要になってくるからだ。

これは、自然なことだ。良い悪いの問題ではない。

そして、この価値観が、「人に優しくするかどうか」についても影響を及ぼしている。私はそう考えている。

それが、「人に優しくしても、割に合わない事が多いので、人に優しくできなくなってくる」という答えに繋がっていく。

ただし、先程も述べたが、これは心の持ちようの問題でもある。

正義のヒーローは、確かに、大きな結果、報酬を得ていることが多い。そして、それを目指していて、すぐに結果が得られなかったり、得られたとしても、それが思っていたよりも小さかった場合、人々は、「割に合わない」と考えるだろう。

さて、あと一つだけ、以前の記事で最後に述べたことについて今一度、説明をしておこうと思う。

「思いと考え」の部分で、「脳内シュミレーションとそれに基づく予測は、私の個人的な考えとは少し遠い場所に位置する」という部分だ。

これは突然の文章なので、驚いた方もいるかもしれない。しかし、どんなことにも意味があり、おおよその意図があるのが通常だ。

この文章を書いた意図は、私の個人的な考えが全く別のところにあるということを示唆している。

私は、「人に優しくしても、別に損はない」という考え方をする。

そのため、「利益がない」と「損はない」というこの2つの価値観の違いには、大きな隔たりがある。

だからこそ、私はそもそも、この「利益がない」という考え方があまり理解できないでいる気がする。

したがって、これを私の考えとしてしまうことに、違和感があった。

私は、別に損はないんだから、優しくしてもいいんじゃないか、助けてあげられるなら助けてあげればいいじゃんってそう思っている。

しかし、人によっては、あたかもそれが損することのように捉えている人もいるわけで、そういうのは見ていて分かる。

ただ、「人に優しくする」のが正解かというと、それは違う。

人に優しくすることで疲れてしまい、まるで損しているように感じる人がそれをしても不幸にしかならないと思う。だからこそ、私の「別に損はない」という考えや価値観をそのまま適用しても意味が無い。

人には適正というものがあり、「人に優しくする」ことがその人にとっての正解とは必ずしも限らないのだ。

これを生まれ持った性質と呼ぶ。

したがって、これについて私は思うところがあまりない。つまり、「別に、そんな無理して人に優しくする必要はないんじゃない」って、そう思うのだ。


神社などでの願い事


神社、願い事は言わないほうがいいのか、言ったほうがいいのか。今回はこれについて考えてみたいと思います。

願い事は言ったらかなわないとかなんとか。そういうのはたまに見かけます。

結論を言うと、私はどっちでもいいと思います。

要は、願いを他人に話したかどうかに関係なく、それを叶える人は少ないという事実があるだけなんじゃないかなと。

願いを叶えた人の中に、願いや目標は他人に話せという人やそういうのは他人に言ってはダメだという人がいます。

私の場合は、言いたければ言えばいいし、言いたくなければ言わなくて良いと考えますけど、それを言ったから願いがかなわなかったとか、願いがかなったというのは、あまり関係ない気がします。

たまたまなんですよ。偶然なんです。

その願いの行方は、誰にもわからない。自分次第でもあり、他人次第でもあり。

なので、私の場合は、この点については、あまり気にしないほうがいいのではと思っています。

が、実際はどうなんでしょうね。

わからないからこそ、いろいろと言われているんでしょうけれど、その分からない原因の一つが「願い事は言わない方がいい」と考えている人が一定数いることです。つまり、それが叶ったのかどうか誰もわからない。その点で検証不可能であり、わからないということになるんじゃないかなと。

ただ、一つ言えることとしては、願い事は行動しないと叶わないものが多いんじゃないかということです。

したがって、その行動と神社は関係ないし、願い事を言ったか、言わなかったかっていうのも関係なさそう。

もちろん、そういうのを信じている人を否定する気は全然ないけれど、でも、信じる対象は本当にそっちでいいのかなってのはちょっと思ってたりもする。まあ、一つの視点として、そういう考えもあるのだなあくらいに思っていただければと思います。おわり。


善行のたった一つの報酬


厳密には、善行に対しての報酬は基本、何もありません。私はそう思います。

良いことをしたからと言って良いことがあるとは限らないし、悪いことをしたからと言って悪い目に合うのかというと、そうでもありません。

悪いことをして利益や報酬を得ている人なんてたくさんいますし、それが社会的、人間的な成功につながっている人もたくさんいるでしょう。

したがって、いいことをすれば、いいことが必ずあるので、みんないいことをしましょうという考えは間違いだと思います。

それは単に自分たちの都合だと思います。

でも世の中には頑なにこういうことを信じている人もいるんですよね。それを強制しようとしたり、広めようとしたり。なんでかというと、それは自分たちの利益になるからだと思われます。自分ではやらないのに、他人にはそういうことを言うんですよね。確か、前の都知事の人もそんな感じの人だった記憶があります(国歌強制のあたり)。

それ自体の行いに関しては別に否定しませんが、私はあくまでそれは自分で決めることだと考えています。いいことをするかどうかは、あくまでデメリットというかその危険性を認識した上で自分が決めることでしょう。

いいことをするかしないかというのは、自分で決めることです。

ここで、自分で決めるというのはどういうことでしょう。

それは、「いいことをしても自分の利益にならないかもしれない」ということを自覚していることだろうと思います。他にも色々ありますが大前提として。

「いいことをすれば、いいことが必ずあるので、いいことをする」というのは、それは単なるプログラムです。単にプログラムに従っただけであって、自分の考えではありません。

そして、これがダメなところは、そのプログラム自体が完全に間違いだからです。

つまり、相手に間違ったプログラムを記憶させ、信じさせ、誘導している時点で、それは非常によろしくないことだと思います。

基本的に、善行というのは、自分の生存を脅かしたり、もしくは生存に不利になったり、または、その生存が危うくさせたりすることがあります。

そのような危険性を認識させずに、いいことをしたらいいことがあるのでやりましょうというのは、野生、もしくは生物本来のプログラムから見ると死ねと言ってるようなもので、そういった教えがあること自体、本当によろしくないなと思っています。

それは危険な行為であり、死ぬかも知れず、不利益を受けるかもしれないが、それでもやるかやらないかは自分で決めることだと思います。

宗教的な考えのうち、私が嫌いなところ、その1でした。おわり。


人に優しく



人に優しく


行為と結果


「正義のヒーローに憧れていても、やがて人にやさしくできなくなる、なぜなんだ」っていう問が有名なラノベであるらしい。したがって、なんとなしに、暇つぶしに、答えを出してみます。

まあ、問い自体が個別的問題、個人的問題であり、それぞれの環境や状況によって違ってくるのだけど、最も一般的な答えは、「利益がないから」になるでしょう。

例えば、「正義のヒーローに憧れる」という行為は一体何なのだろうと考えてみてください。

...疑ってはいけません。疑うのは最後だけで十分です。と、余談を話しつつ。

さて、「正義のヒーローに憧れる」という行為、これは、「主人公が最終的にハッピーエンドを手にする」という部分が物事を捉える上での本質的重要部分になります。

例えばですが、人を優しくしたヒーローが、逆にひどい目にあい、ボロボロになり、人々に誤解され、蔑まれ、ひどい扱け、ボロクズみたいに惨めな最後に終わり、バッドエンドを迎える物語なら、あなたは、そんなヒーローに憧れを持っただろうかと考えてみてください。

私の脳内シュミレーションの結果(簡単にいえば単なる妄想)では、「それでもヒーローに憧れを持つような人は少ない」と出ています。

あれれ、おかしいなー。ヒーローに憧れを持ったことがある人って、決して少なくないはずなのに、結果やエンドが違うだけで、こうも憧れる人の数に差がでるのは、おかしいなー。

と、ギャグはここまでにして、正確には何もおかしいことなどありませんよね。

つまり、人に優しくした結果、それがハッピーエンドにつながるならば、人々はヒーローに憧れやすいということなだけです。

ちなみに、私はヒーローや魔法少女に憧れたことは、全く無かった人なので、まあ、これについても色んなタイプがいるぽいですが。

そして、「子供の頃、ヒーローに憧れを持たなかった奴は碌なやつじゃない」と考えるのもできればやめて欲しい。いや、自分がどうとか関係なくて。

ヒーローに憧れを抱いてたタイプの人は、「自分と同じ考えを持たなかった奴はダメな奴」って思考する人がとても多い気がするので、「どんどん人に優しくできなくなってくる」という認識は正しい気がします。そして、これをなぜなんだって言われても、それは生まれ持った性質によるものとしか言えない気がする。まあ、個人的な印象の話はここまでにして、次です。

話が逸れてしまいましたが、行為と結果の話でした。

ヒーローものでは、ある行為と最終的な結果が大きく結びついていることが多く、それを含めて、人は無意識のうちに、「ヒーローみたいに人に優しくすれば、最後にはきっと幸せになれる」とそう考えてしまうのだと思います。

そして、これは人間として当たり前のことですし、だからこそ、予測が立てやすい感情的、思考的傾向の一つです。

つまり、行為だけでなく、結果という要素も、人々の判断材料には、非常に重要なファクターになってるわけですね。それを認識していなくても、その変数は依然としてそこに存在している。そういうイメージ。

いや、むしろ多くの一般的な人々にとっては、結果のほうが重要ファクターなのではないかなと思います。その行為だけを純粋に評価されることは少ない。ヒーローだって、もし結果が伴わなければ、かっこ良くもなければ、あこがれの対象でもないのです。普通は。

例えば、「悪いことをすれば、ハッピーエンドが待っている」という怪盗ものの話だった場合、逆に怪盗に憧れたりする子もいるんじゃないかなあ。まあ、悪いことの度合いや描かれ方にもよりますが。

次に、現実問題を考えてみましょう。

現実問題、人に優しくしたら、ハッピーエンドで終わるでしょうか。

ハッピーエンドで終わることはあんまり無いですよね。それが目に見えた形ですぐさま自分の利益に結びつくことも少ないですし。

むしろ、人に優しくしても、良いことなんて一つもないし、裏切られ、自分が傷つくだけって考えている人も多いのではないでしょうか。

そして、歳を重ねるごとにそういうのが分かってきて、だからこそ、人々は、人に優しくすることをやめてしまうし、できないんじゃないかなって。

だから「正義のヒーローに憧れていても、やがて人にやさしくできなくなる、なぜなんだ」という問の答えは、優しくしても「利益がないから」、「利益がないことがわかってくるから」ということになります。そして、「そのヒーロー自体の行為も、その行為のみを純粋判断しての憧れではなかった。それは、ハッピーエンドという結果を含めた憧れだった」です。

私が言いたいのはこれだけ。

つまらない答え


なんか非常に長い文章になってしまいました。

答えや真実というものは、往々にして、最もつまらないものが正解な場合が多いです。

人々はそれを理解し、だからこそ私は、それについての答えを出せます。

良い悪いではなく、そこにあるものには理由があるという感じです。

例えば、結果を考慮に入れていた判断に落胆する人もいるでしょう。しかし、それは生存本能、可能性の上では正しい判断です。そして、その生存に役に立たないことを理解した段階で、それを捨てるのも、正しい判断であると思われます。

ここで、次の記事に繋がるようなことを少しでも書いておきましょう。

人は概ね、自分にとって正しい判断をする。そして、それは、思いの外つまらない判断であることが多いのです。そして、それは年をとるごとにより高度に発達していくのだろう、と。

そして、つまらない判断をしている自分を認識(無意識)し、時に、「むきー!!」ってなる人もいるのかもね、と。

思いと考え


補足として、これがあんたの私の考えなのか?と聞かれた場合の答えを述べておきます。

答えは、「んなもん、ない」です。

実は、脳内シュミレーションとそれに基づく予測は、私の個人的な考えとは少し遠い場所に位置するため、私の中ではそういう認識ではない事が多いです。

そもそも私はヒーローに憧れた口ではありませんので、その思いを汲んであげることは、残念ながらできない...というよりは、やりません。

思いは、考えと深く結びついているゆえに、私はこの件について、あまり思うことがありません。

感情的に今回出した答えを受け入れられませんか?

なら、そっちの方がよいかもしれません...。


天才の人間と日々なんとなく過ごしている人間のどちらが怖いのか


今回の話は天才の人間と日々なんとなく過ごしている人間のどちらが怖いのかという話っぽいです。

別に天才でなくとも、何かに特化した専門家でもいいんですが、確かに、常人よりも知識があり、より影響力の大きな仕事ができますので、その責任も重くなりがちです。

例えば、普通の人の一つの行動では世界は崩壊しませんが、天才の一つの行動で世界が崩壊することもあるかもしれないみたいないなイメージです(あくまでわかりやすいイメージ)。

ただ、本当に怖いのはどっちなんでしょう。

見方によっては、何も考えてないし、知識もない人達の行動が一番怖いということもあります。

まあ、それらの行動の多くは自発的なものではなく、天才的な人物の扇動によるものが多いと思われますが、一概にどちらが怖いかは難しい問題です。

答えとしては、天才が民衆をコントロールして、争いや闘争に利用しようとする時が一番怖いということになり、大抵の場合は両方怖い、もしくは両方が重なったときが一番怖いということになると思います。

以下はそのことに関連する一つの視点を述べているのだと思われます(多分)。おわり。

天才の欠点


本質的な話、私の感覚


あなたは、天才的な人間を目の当たりにした時、何を感じるだろうか。

私は、彼らについて、恐ろしくまともな人間だと感じることが多い。

巷で言われる彼らの欠点は、私にとってそれほど大きな欠点には当たらない。

それよりも、いわゆる凡人と呼ばれる人達のほうが、私には「まとも」に見えないことが多かった。

私にとって重要な判断指標、それは、自ら考え、自らの意志で行動する人間か否かである。

つまり、どれほど世間から外れた考えを持っていたとしても、それが自らの確固とした信念に基づき、考え、行動しているなら、それは、私にとって「まとも」な人間だ。

必ずとは言わないが、当該要素は、私の中でもっとも重要な判断要素なので、そう考える確率が高いと思われる。

ただし、私にとって、天才的な人間と凡人的な人間は、本質的には何も変わらない。それだけは付け加えておく。

どのような人間にも本質的な欠点などというものは存在しない。全てはその時点で完璧であり、完成されたものだ。その時点で、「ただ、そこに在るもの」にすぎない。それをどう評価しようと自由だが、これは大前提だ。

ただし、その時点で完成していようと、より良い完成を妨げない。

例えば、天才と呼ばれる一人の人間が居たとしよう。その人は生まれたばかりは完璧ではなく、天才ではなかったのだろうか。子供の頃、完成されていなかったのだろうか。天才と呼ばれるようになってから完璧になり、完成されたのだろうか。どの時点で欠点が生まれたのだろうか。

そう考えていくと、ある意味で最初から完成されていた。欠点などはない。

そこには、単に個性があり、それを多くが、または個人がどう評価するかという問題だ。

無意味な話、私の前提


ここで、天才には必ず大きな欠点があるなどと考える人もいるが、これは私の考えとは全く異なる。

世間から大きく外れることを欠点とするならば、確かに、その通り、「天才は欠点だ」だ。この場合、その定義自体に私の考えとの不一致を見ることになる。つまり、議論の大前提すら一致を見ないため、この場合の議論は無意味となるだろう。

具体的には、「天才は世間を外れたものである、世間を外れることは欠点である。したがって、天才は欠点だらけだ」という論理的帰結がある一方、私が考える「天才は世間を外れたものである、しかし、世間を外れることは必ずしも欠点とは結びつかない。したがって、天才と人間的欠点の直接的関係を私は認めない」という論理的帰結では、議論の前提となる部分が大きく異るため、この場合、相手との議論は成り立たないということだ。このことを前提に話を進めていきたい。

さて、少しややこしい話をしてしまったが、簡単な説明から入ることにする。

世間から外れることは、必ずしも欠点であらず、間違っているとは限らない。

これは、上記で述べた当然の前提として共有すべき価値観の一つでもある。

では、なぜ世間から外れることを悪だとみなさないのかを話したいが、これをひとことで言うと、「過去の世間で認められなかったものが、現代では認められている例が数多く存在し、それでいて世の中を良くしたものが数多くあるから」という理由からだ。具体例もあげたいが、無意味な話はできるだけ避けたいので、この点は以後も割愛することとする。

次に共有すべき価値観は、「天才は世間を外れたものである」という部分だ。

天才とは相対的比較によって成り立つ概念だからだ。

つまり、多いか少ないかという要素が非常に重要になる。

例えば、現在でいう天才的能力を持ったものが、未来において大多数を占めることになったとしよう。この場合、同じ能力を有しているにもかかわらず、時代によって天才と呼ばれるか、呼ばれないかが変わってくる。

したがって、どうしても、天才とは、世間一般から外れた存在を指すことになる。ちなみに、この点の価値観は、上記の例からみても一致を見ることになる。

つまり、ひとつ目の「天才は世間を外れたものである」という要素は、一致を見るが、二つ目の「世間から外れることは欠点だ」という要素が一致を見ないことになるので、この場合、議論の前提条件を満たさないこととなる。

そして、議論の前提条件を満たさないことになれば、やはり、この記事を読む意味はあまりないと考える。

個人的な話、私の道


一般的に、天才と呼ばれる人々は、その個性が注目されることが多い。

しかし、一般人であろうと、凡人であろうと、その個性を注目されると、それがあたかも、大きな欠点を備えていると認められるであろうことも多いと考えられる。そして、その欠点は、むしろ、今まで聞き及んだ天才の欠点を遥かに凌駕するものであることも多いだろうと思われる。

ここで、少し個人的な話をしてみたい。そう、私の欠点ないしは、欠陥の話だ。

私は、この世界を存在の世界とそう呼んでいる。簡単に言うと、それは繰り返しの世界だ。どんなことであろうと、それが繰り返される世界。それが存在の世界の本質だ。個々の永遠はないが、最も大きな永遠で構築されている世界...。

なぜそう考えるかはさておき、少しだけ今まで説明していなかったことを一つだけ説明したい。

例えば、繰り返される世界は、生まれ変わる世界と言い換えてもよく、「寝て、起きる」または「起きて、寝る」が繰り返される世界だ。いや、本来的にはあらゆる行為、あらゆる物事が繰り返されるので、寝起きのみが対象ではないが、分かりやすいので今回はこれを使う。

この寝起き概念は、新たに生まれ変わるまでの時間的幅を発想させるのにも役立つ概念だ。

通常は、外側に在るものほど、その時間は比較的長くなる。

私たちは、1日に何時間寝るだろうか。10時間、それが私の答えだ。では、新たに生まれ変わるまでは、どれだけの眠りが必要なのだろうか。そう考えていくと、新たに生まれ変わるまでの一般的な睡眠時間を推測するのは容易い。

もちろん、「人それぞれ」が正確な答えだ。3時間しか寝ない人もいれば、12時間寝る人もいる。だが、生まれ変わるために必要な期間は、通常の人が寝起きする時間幅よりも長くなるのが通常だろう。

なぜなら、それは外側にあるからだ。外側にあるものほど、時間幅も長くなる。したがって、その時間幅は、私達が考えているほど「すぐに」ではないことが分かると思う。

しかし、このような世界観を持っていると、私は、「すべてを無に帰すほうが良いのではないか?」、もしくは「すべてを無に帰す衝動」に対して、遥かに肯定的価値観を持っている節がある。

これはよく巷の物語でいわゆる悪役が持ちうる価値観であり、悪とされる価値観だったりする。

しかし、私は、この永遠に繰り返される世界で、「すべてを無にする衝動」という価値観が一概に悪いものだとは考えていない。

なぜなら、それは、安らかな眠りに相当する価値観だからだ。

あなたは、今持っているものすべてを一度リセットされ、新たに生まれ変わる。そこには何も持ち込めず、当然ながら、今まで集めたお金や地位、自らの考えや行い、そのすべてを持ってはいけない領域である。

ある童話に持たない少女の話があるらしい。彼女は最終的に唯一身に着けている服さえも他人にあげて、そして、最後には死を迎えるという話らしい。

私は、このお話を聞いた時、「彼女は偉大な人間だが、それ以上でもそれ以下でもなく、ただ偉大な人間というそれだけだ」とそう思った。彼女が偉大であることの報酬は...残念ながら何もない。

彼女が人間として偉大な人物であり、偉大な行いをしたとして、例えば、それで彼女が救われるわけではない。具体的に言うと、それで新しい生まれが、より良い物になることとの関連性は全く無い。もしかしたら、さらなる悲惨が待っているかもしれない。

すべてがリセットされるということは、そういうことだ。

これを残酷だと捉えるなら、それはすこしばかり私の価値観とは異なることになる。

例えば、彼女は服を他人にあげていたみたいだが、その他人が彼女があげた服で生きながらえたとしよう。それは、人間としてとてもよい行いをしたということになる。しかし、一つの生物が生きながらえるということは、多くのモノ、生物を犠牲にしてきたということでもあったりする。

これが犠牲になる他の生物の立場なら、彼女の行いは最悪なものだっただろう。より醜悪な天敵を幾重にも助けているのだから、それは卑劣なものに映ったかもしれない。これについては、弱々しいエイリアンが、より醜悪なエイリアンを助けているところを想像して見ると分かりやすいのではないかと思うが、私は血なまぐさい映画が嫌いなので、そういう話はなしでいこうと思う。

さて、では、天からみると、物事はどう映るだろうか。

残念ながら、彼女は人間として偉大な行いをしたが、そのことで彼女を贔屓する理由は、残念ながらどこにもない...。

これが私の価値観だ。

では、この事実を認識して、この世の悲惨を、支配を、隷従と死を想像して、それが繰り返される世界であることを認識して、そして、あらゆる人間としての偉大な行いをリセットされる世界であることを認識して、「もう少し眠りたい」と願うことは果たして悪いことなのだろうか。

「もう少し眠りたい」というのは、例えば、この星を無にすれば、私たちは、「もう少し長く眠ること」ができるだろう。例えば、この宇宙を無にすれば、私たちは、「もっと長く眠ること」ができるだろう。

繰り返されるというのは、一度や二度というレベルではない。一兆を遥かに超えて続くであろう、生という苦痛と絶望や死の間に、少しばかりの休憩をしたいと考えることは、果たして悪いことなのだろうか。

ただし、いかに長く眠ろうと、私達はいずれ目覚めるだろう。この輪廻から離脱することはできないと私は考える。輪廻から離脱して、ではどこに行くのかの問題だからだ。一つの輪廻から外れても、その先にはやはり、輪廻が在るのであろう。だから、根本的な離脱はできない。

しかし、できるだけ長く眠りにつくことはでき、そのための方法の一つが、「すべてを無に帰す」という考えだと私は理解する。

したがって、これが悪いことかと言われると、私は、「うーん、どうだろう...良くもあるし、悪くもある」、そう答えるだろう。

多くの死をもたらす考えを否定しない時点で、私は、世間一般に見て、いわゆる「とてつもなく大きな欠点をもった人間」ということになると思われる。

これについて少しばかり認識の相違があり軽く考えている方もいるかもしれないので、すこしばかり言っておくと、例えばこれは、「この星に住むすべての生物に一瞬で死をもたらすボタンがあったら、私はそれを押すかもしれない」と言っている。例えばこれは、私がインタビューで本音を聞かれれば「自分は、すべての生命の死を願っている部分もあるんです」と言うことになる。

そして、私がこれを第三者の立場で聞いたとしたら、「こいつ、...とんでもなくクレイジー(危険)だ」とそう考えたに違いない。

しかし、私は、凡人であり、一般人だ。全くもって平凡で、何の取り柄もない普通の人間だ。

そして、普通の人間でも、この程度のことは誰でも思いつくし、考えてるんだろうなと、私は、そう考えている節がある。

つまるところ、欠点が大きければ大きいほど天才だということもなければ、天才は欠点が大きいということもないのだと思う。そこには関連性はあまり見当たらない。

それは、単に個性が注目されたために認識され、広まったものにすぎない。私はそう考えている。

ただし、注意として、私は、人類の可能性を信じる人間でもある。

例えば、人類が、「人間として生まれれば、高い確率で幸せな人生が遅れるような世界」を形作っていけるようなら、それによって、私がボタンを押す確率も低くなる。そして、私はそれが可能だとそう信じている。つまり、これは、人類の可能性を信じているということでもある。

ただし、現時点では、私がボタンを押す確率が高い社会でもあるように思う。

例えば、ISなどで話題になっている紛争地域、貧困地域の悲惨さは、皆様も聞き及んでいることだと思う。そして、実際に聞き及ぶよりも遥かに悲惨なものだとそう推測している。

これは他人事ではない。私の世界観では、あれは自分なのだ。これまでの、そして、未来の自分。自分になり得るものたちなのだ。

帰結的な話、私の答え


私にとって、天才的な人間と凡人的な人間は、本質的には何も変わらない。

ただ、個性が注目される人間がいて、さらに、希少な能力を持った数少ない人間がいるというに過ぎない。

巷で言われる彼らの欠点は、私にとってそれほど大きな欠点には当たらないと思うことも多い。

凡人であろうと、その個性が注目されると、それが大きな欠点に見えることも在る。

そして、その欠点の大小と天才であることとの関連は、私はあまりないと考えている。

ただ、世間から外れた考えを持つには、自ら考えなければならないことも多いと思う。その点で、私は、天才と呼ばれる人達がまともに見えることも多かったりする。

今回はそういう話だった。


1枚絵よりもそれを何かにつなげる工夫があるといいかもしれない


創作は、色々なものをできるかぎり繋げるようにしたほうが面白いものが出来上がるので、なるべく多くの要素を繋げる事ができた作品が、やはり評価されやすい気がする。

例えば、1枚絵を描くだけよりも、それと物語をつなげたほうが面白いし、物語を作るには、脚本ができなければならない。また、これは音楽にも言えることだけど、曲だけよりも、キャラクターをつなげたほうがより面白いものが出来上がる可能性が高い。

でもこれは難しいことでもある。なぜなら、これは、複数の専門を持つことに等しく、あらゆる分野に特化する必要があるからだ。

また、世の中を見ていると、多くの場合、一つのことに特化した人よりも、それらを繋げる仕事をしている人のほうが評価され、利益を得ているというイメージがある。

なので、どちらかをやるとしたら、一つのことに特化する創作よりも、繋げる創作をしたほうが良さそうに思う。

もちろん、複数の創作を行い、例えば、脚本、キャラクター、絵、曲などの創作を行い、それらをゲームやアプリ、漫画などの形にして繋げる創作を全部一人で行えるのが一番良いが、これはなかなかに難しいことのような気がする。

例えば、漫画家さんは、脚本と絵を組み合わせているため、2つのことができなければならず、それ故、基本的には、すごい人達だと思ってる。

そして、いくら絵が良くても脚本がダメなら評価されないし、反対に、いくら脚本が良くても、絵がダメなら評価されづらい。

この辺りを全部うまくやってる人達はほんとすごいと思う。


チャットツールを作ってみた




GitHub(Push) -> Wercker(Build, Deploy) -> Heroku(Web App) -> Slack(Bot, Notify)


使ったのは、以下の様なもの。


socks


socksプロトコルを使ってみた。


外的なきっかけ

ひらめきを得るためには、どうしても外的なきっかけや知識が必要になります。

以前の記事では、閃きは周りに漂う多くの光を繋げること、そして、一つの形を描くことに似ていると言いました。

そして、光を繋げるには、一定の知識が必要だと言いました。

こう言うと、「知識なんて必要ない」って考えられる方もいるかもしれませんので、その補足になります。

一般人が納得する形で答えから述べるなら、「何の知識も持たない赤ん坊は、何かをひらめくことがあるだろうか?」ということです。

これについては、ニュートンの話が参考になります。「リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた」というやつですね。

これが作り話にせよなんにせよ、閃きについての重要な一つの視点を示してくれていると思います。

ここで示されている視点は、「日常的な物事をきっかけに、これまで認識されていなかった自然界のルールを思いついた」ということ自体が重要なわけではありません。

どのような物事にも、そのまま受け取るだけでは意味が薄いです。その裏側にあるものを認識することが重要になってきます。

なぜなら、そのまま受け取るだけのことは誰でも出来るけど、その裏側を想像する人は少ないからです。

さて、多くの人は、リンゴの木からリンゴが落ちるのを見ても万有引力を思いつきませんでした。林檎の木から林檎が落ちるのを見たのはニュートンだけではないのです。リンゴ農家の人達はしょっちゅう見ている光景かもしれません。

では、なぜニュートンだけが思いついたのでしょう。

その一つの要素が、ニュートンが持っている知識ではないかと考えられます。

したがって、ニュートンも一定の知識も持たなければ、思いつかなかったことかもしれません。

もう一度問いますが、何の知識も持たない赤ん坊は、何かをひらめくことがあるでしょうか?

ひらめく人間は、誰しも、一定の知識を持った人達です。その知識が直接的であれ、間接的であれ、きっかけであれ、光を繋げるためには、どうしてもそれが必要になるだろうと私は考えています。

ただし、知識があれば誰でもひらめくというわけではありません。それは第一条件に過ぎません。また、光をつなげたからと言って、それが世間的に価値がある閃きかどうかはその時点では分かりません。

世間的に価値がある閃きかどうかは、それが今までにない形を形成し、かつ、人が認識でき共有できる形でないと、世間的価値がある閃きとは認められないでしょう。

閃きとは、周りにある光をつなげ、一つの形を描くことに似ています...。

そんな感じのことを思ったのでした。
test投稿その3

gitlab

GitLabと言うものを使い始めてみました。test投稿その2

Docker-Post

今までOS環境でまとめてなかったシステムをDockerでまとめてみました。test投稿その1

最近のDockerを用いた開発スタイル


最近、開発に依存が多くなってきたからなのか、Goなどで手軽にバイナリを配布しやすくなってきたからなのか、CIでのテストのためかわからないけれど、OSセットに考えることが増えてきた気がする。そして、Docker-Alpineは定番として定着しつつある気がする。それにしてもとにかく速い。OSセットで構築するにも関わらず色んな意味で速い。


FROM alpine:latest

RUN apk add --no-cache --update ca-certificates

COPY bin/app /app

ENTRYPOINT ["/app"]


はてなのキーバインドなど


例えば、Googleでは、Vimのキーバインドが有効であるように、はてなでもVimのキーバインドは有効です。中の人にVimmer多いのかも。

次に、Googleが吐くJSONとはてなが吐くJSONは、基本的に、はてなのJSONのほうがシンプルで扱いやすかったです。

また、日本で注目されてるニュースを検索するのも、Googleよりも、はてなのほうが使える感じでした。

具体的には、ユーザーコメントを取得する際、一応、全部のURLに対して取得するんだけど、そこで一番情報量が多いものをwc -cls -lなどから判断し、sort -nした後、tail -nで一番情報量が多いのを選択するんだけど、Hatena APIは、jsonlite/?でなはなく、json/?を使うことで関連ニュースも取得してくれるので、使いやすさがある感じがした。


消えていく記事がもったいない(新)



消えていく記事がもったいない(新)


長文で書いた記事ほど消してしまう傾向にあるので、もったいないなと思いつつ、良かったかなとも思ってるので微妙な気持ちです。

このブログは特に、過去記事を自動参照して発想を得る仕組みで動いているのだけど、自分が書いた過去記事がそもそも意味不明というか、なにこれという感じのものが多くて、読むのが相当苦痛なんですけど(笑)

日ごろ読まれている人の気持ちを察すると、胸が痛い...。すいません。

少しは読む人の気持ちになってみろっての、私は割と腹立たしいことを平気で書いていますよね(怒)

ということで、最近はゲームやアニメの感想に逃げてしまいがちになってる気がします。

コメントシステム


1年前のこの時期にMiddlemanの方のブログでコメント欄を付けたことがあったらしい。

しかし、今どうなってるんだろう...。コメントは一切来ないので今では外していた気がする。

Tralia(たぶん)というGitHubリポジトリへのコメントを参照するシステムなんだけど、このエコシステムは、すごく便利というか気に入ってた。

例えば、WebサーバーにGitHubを使わなくとも記事のURLとリポジトリにあるファイル名を一致させることでリンクが貼られて、コメントを管理できるシステムで、記事をアップするたびに、そこに記事アドレスと一致するファイルを作成し、リポジトリにPushすれば有効になる仕組みで、これを使ってた気がします。

今でも他のサイトには使ってることもあるのですが、手順が割りと面倒で全部自分で設定しないといけないので(管理はしやすい)、メイン以外のサブサイトでは使わないことにしたのだったかな。


消えていく記事がもったいない(旧)


長文で書いた記事ほど消してしまう傾向にあるので、もったいないなと思いつつ、良かったかなとも思ってるので微妙。

ブログの自動ポストなど


現在私が毎日更新しているブログなどをまとめてみます。

すべて自動更新ですが、仕組みはバラバラです。

  • https://mba-hack.blogspot.jp/

    上記はこのブログですね。これもちょっとした仕組みで動いていて、文章とかも簡単に考えられるようになっています。1年前の過去記事から発想を得ているからです。ただ、時間がない場合は過去記事のままポストされることもあります。タイトルが単なるタグ相当(英語)だった場合は、編集されてないですね(忘れてたという意味で)。

    具体的には、Blogger API v3, gulpを使用して自分で作ったCLIクライアントアプリを運用していて、1週間分くらいをpecoなどで絞り込みながら編集します。編集後は自動で記事コンテンツを管理するGitリポジトリにアップされ、クライアントはそれを参照することによって自動で記事をビルド・デプロイする仕組み(CI + Cron Jobのようなで)。

  • https://syui.github.io/middleman/

    このブログは個人的な話が多めです。大体はアニメとか漫画の話です。とてつもなく面白くないので注意しなければなりません。適当に思ったことを書いてます。これは、メモプラグインを自分で作成し、そこから参照されているからです。開くとメモ、閉じるとPushします。メモ自体、あまり読み返さないし、修正しないので、誤字脱字などが多発していて、先にも述べたように内容は思ったことをすごく適当に並べただけのものが多いです。

    できる限り個人的な考えを載せないように頑張ってまして(読んでる人も不快だろうと思うんで)、アニメ感想でごまかしながらやってるという感じですね。そういったジャンルで書くほうが不快感少なさそう。

    こちらは、CIにWerckerを使っていて、更にMiddlemanでビルドされてるので、時間制限によって稀に止まります。こうなると、手動で再デプロイしなければならないのが辛いです。Wercker APIを使えば失敗したときに再デプロイすこともできそうだけど、そこまでは仕組みを作れていません。

  • https://syui.gitlab.io/blog/

    こちらはゲームの話が多いかもしれませんが、技術的な内容もこちらにメモすることにしていて、たまに技術関連の話題も出てきます。

    GitLab CIで動いてますが、GitLabって結構不安定なので、安定してほしい...。

  • https://anicat.gitlab.io/

    こちらは海外の反応(アニメ)のRSSなどをまとめたサイトで、タイトルに合わせて情報を蓄積させ、マッチしないものや一時的なニュースに関しての情報は捨てられる仕組みで運用しています。1日数回、自動で更新されます。割りと放置気味。

  • https://anicat.gitlab.io/vocaloid/

    私自身がボカロ曲をニコニコではなくYouTubeでウォッチすることにしたので、YouTube APIを使ったついでに作ったサイト。GitLab CIを使って自動更新されています。

    毎日更新されていて、簡素なAPIも用意してます。こんな感じで新しい曲を取得できるようになっています。自分が利用している限り、このような仕組みは廃棄されないと思いますが、自分が利用しなくなれば無くなっていくかもしれません(サイト含め)。

    $ curl -sL anicat.gitlab.io/vocaloid/url.json

  • https://anicat.gitlab.io/mal/

    こちらはMAL(MyAnimeList)のレビューを翻訳したサイトで、更新などがあると自動で翻訳と更新を行います。ただ、数が数なので、ビルドも重く、したがって、毎日更新されるわけでもなく、そのへんは調整中です。

    現在、本家のAPIがあまりに貧弱なことから自分で作ったAPIから情報を取ってきて更新されています。ただ、こういった情報はレビュー文章を含めているので非公開。

    本来ならAPIを公開して、翻訳修正作業を手伝ってもらえたら嬉しい気がしますが、そのへんは、現在、自分でCLIクライアントを作って楽に作業できるようにしました(したけど全く進んでないないという)。

    以上、そこそこな頻度で更新されている自分が運用してるブログの話でした。

    気になる方は適当に覗いてみてください。多分、さほど面白いものはないと思いますが...。

技術書の読み方がわからない人への技術書の読み方


技術書って難しいですよね。

ただ、ある方法を知っていればそれほど難しくありません。

その一つは、手を動かしてから、実力をつけてから読むということです。

技術書には「これ、何も知らずに読んでもわけわからないだろうな」というものがたくさんあります。というか、ほぼこの種類です。

したがって、何もない状態からいきなり難解な技術書を読んでも、基本的には無意味だと思います。

無意味というのは、時間の無駄ということです。

もちろん、知るために読んでいる、技術力をつけるために読んでいるのに、時間の無駄とはどういうことかと怒られてしまうかもしれません。

つまり、そこには「何をやるにしても最初はわけがわからないので、まずは本を読んでから始める」という思想があるのかもしれません。

しかし、技術書に関しては、特に高度なものに関しては、「確認のために読む」、「嗜好品として読む」という感じになることが多い気がしていますし、そういう類のものが多い気がしています。知識量で言えば、とてもじゃないけれど、自分で調べて補完しなければ役に立たない内容が多いですし、それに前提知識を必要とする物が多いです。それらが全て本で説明されているわけではなく、多くは省略されていたりします。

したがって、技術書の読み方がわからない人へのアドバイスとしては「本を読んでもわけがわからなくて当たり前」となります。アドバイスと言うかフォローとして。

では、技術書の読み方がわからない人への技術書の読み方はどうすればいいのかについて自分なりに説明したいと思います。

これは人それぞれのやり方やきっかけがあると思いますが、まずは手を動かしてから面白くなってきたら読むようにしたらいいと思います。

ここで、入門書(ほんとうの意味での)はおすすめしません。技術書に関しては入門書は不要です。なぜなら、調べれば書いてあるようなことばかりをまとめてあるだけで、全く意味をなさないものが多いからです。また、害も大きい気がしています。一言で言えばすごく面白くないです。

技術を長く続けるためには、どうしても自分にとっての面白さを見つけられないと駄目だと思っていて、そうでないと長く続けることは難しく、長く続けられないなら、技術は進歩が早いので、あっという間に学んだことがほとんど無意味になってしまうことがあります。

そんな感じなので、面白くなってきたら読むという感じでいいと思います。

あと、技術書の中には、入門書と言いつつ上級者向けの本が結構たくさんあります。まあ、どちらにしても手を動かしていない限り、入門書は不要なのではないかということで(本当の意味での入門書は手を動かしていたとしても不要)。

でも出版社が中身のない入門書ばかり発行するのは良くないなと思っています。確かに、実際に意味のない入門書のほうが売れるんだから、それを発行するのは仕方ないことだとは思うけれど、できれば中身のある本を書いている人に還元してほしいなと思っているのだけど、世の中そうはなっていないのです。


鍛えるってこと


心や体を鍛えなければならないとよく言われます。そして、同時に、心を鍛えないと、とんでもない悲惨が待っていると脅されることもあると思います。

しかし、心が弱くても、体が弱くても、それはあなたが偉大な人間になることを妨げないと私は思います。

心が弱くても、体が弱くても、偉大な行いを成し遂げた人間や尊敬されている人は数えきれないほどいますよね。

ここで、偉大な人間というのはどんな人でしょう。

あえて定義するなら、みんなに認められている人ってことでしょうか。全員にではなく、多くの人にという意味で。

だとすれば、心や体を鍛える必要はないと私は考えます。

したがって、人は誰しも、いつでも、どこでも、だれにでも偉大な人間になる素質は既に備わっていると考えます。

要はやり方次第だと思います。

ただ、多くの人に認められている人気な人が、必ずしもあなたの想像通りとは限らないとも思います。

なので、その辺は難しいです。

実力が全くない人でも、心がねじ曲がっている人でもみんなから認められて、人気な人も多いです。

定義通りなら、この人は偉大な人間です。あなたがそうは思わなくても、他の人、大勢の人はそう考えているからです。

確かに、あなたの中にも真実はありますが、他の人の中にもそれはあります。

このように考えた場合、やはり、それは偉大な人と認識されるし、せざるを得ないでしょう。

したがって、心が弱くても、体が弱くても、人を騙すのがうまく、かつ目立ちたがり屋ならば、私は人気者で偉大ない人間になれると考えています。これは心と体を鍛えなければならないという話ではないです。

ただ、本当の偉大な人間、実力がある人間となると、どうでしょう。

これに関しても私は鍛えることが必須だとは思いませんが、しかし、みんなから認められているから偉大だとか、実力があるとかは判断しません。

私の周りを見ている限りでは、すごい人というのは、あまり注目されてないこともよくあるなあと感じます。

「なんでこの人、こんなすごいのに注目されてないんだろう?」と思うことがあります。

そんな感じなので、何者になるにしても、鍛えなければ駄目だということは、多分ないでしょう。そもそも本人は鍛えてるつもりなんてないことも多いだろうし。

おわり。


同じ意味


人には、予め生まれ持った特質や適正、性質と呼ばれるものがあります。

もしそれがなければ、あなたはこの世に存在していたでしょうか。

なんの特徴も持たずに存在する生命はいないと思います。

では、これらの特質、持って生まれた特質は変えられるのでしょうか。

私は、それは難しいんじゃないかと考えています。

なぜなら、それは、この世に存在するために必要だったものを取り除くということなので、必然的に難しくなってくると考えられるからです。

なんか簡単なようで難しい話でしたね。おわり。


同じ意味


人には、予め生まれ持った特質や適正、性質と呼ばれるものがあります。

もしそれがなければ、あなたはこの世に存在していたでしょうか。

なんの特徴も持たずに存在する生命はいないと思います。

では、これらの特質、持って生まれた特質は変えられるのでしょうか。

私は、それは難しいんじゃないかと考えています。

なぜなら、それは、この世に存在するために必要だったものを取り除くということなので、必然的に難しくなってくると考えられるからです。

なんか簡単なようで難しい話でしたね。おわり。


ひらめきによって得られるものでも効果は違う


効果というか、結果は全然違うなと思います。それは日常の事柄であったり、世紀の大発見であったり色々です。

あと、私は世紀の大発見が何気ないひらめきからだったという話は概ね信じています。

というか、ありそうな話だなと考えてるということです。

多くの大発見は自然の模倣であったり、自然の発見、自然の法則であったりします。したがって、ありふれたものから着想を得たというのは納得できる話だからです。それほど現実離れしているとも思いません。

ただ、その発見を証明したり、目に見えた形で、誰もが納得できるような形で再現するのは、それは非常に難しいことだと思います。

私は、多くの人はそれなりに日々色々再発見したり、新発見したりしているのではないかと思っていますが、それを説明したり、証明したりすることが苦手なんだと思っています。だから話題にならないわけですね。

話題になるのは、概ね、正規の手続きを経てそれを証明した時だけであって、発見よりも、ひらめきよりも、アイディアよりも、それが一番難しいのかもしれません。

なんとなくそんなことを考えてしまいました。以上。


ひらめきを得るためにはある程度の努力が必要そう


何かをひらめきやすい人って、年中そのことを考えてたりする人が多そうなので、結局、簡単にひらめきを得ようとすること自体難しいことなのかもしれません。

そんなことをふと思ったのでした。おわり。


illust


イラストを割りと真面目にやろうと思って、以下のサイトを購読し始めているんだけど、良いことがいっぱい書いてあった。

https://ichi-up.net/

特に手順面で参考になったのは、以下の記事の以下の文脈。

https://ichi-up.net/2015/089

目標とするクリエイターを決めて、真似ていくことが大切

今まで目をそらしてきたことだけど、練習あるのみって思った。で、その練習方法が真似るということ。自分もこの方法が一番だと思ってたけど、でも、やってなかった。

次に、どのような絵を目指すのかっていうのは、なかなか決められていなかったので、こういうのは、もう決めちゃったほうが良さそうだと思った。

ので、ぺこさんの絵が好きだったので、これを真似ようと、そして、それに近づけるように練習しようと思ったりした。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1511/16/news014.html

  • 塗り方で参考になりそうなページ : https://ichi-up.net/2015/080

    簡単に言うと、基本、アニメ塗りからやって、合う塗り方に派生していくってやり方がいいらしい。で、アニメ塗りっていうのは、ハイライト、影1、ベース配色で構成される塗り方。ぼかしとかグラデーションもまれに使う感じ。

  • 線画で参考になりそうなページ : https://ichi-up.net/2015/076

    線画というのは、細い線、太い線を分けて描くことを意識するらしい。私の場合、バッと書いて、消しゴムで消してくという感じでやってた。

  • 背景で参考になりそうなページ : https://ichi-up.net/2015/095

    背景は、よくわからないけど、写真をトレースすればいいんじゃないかって思ってる。トレースが面倒なら、プラグインで色を取り除いたりすると、それらしくできるんじゃないかって。でも通常はもっと簡易化されてる背景が絵と合うので、自力で書かないといけないのかなあ。消しゴムで消して簡易化とかできるかも。思いつきだけど。それでも全部トレースは無理で、例えば、ファンタジーの時とかは、トレースした上で、付け加えたり、想像を書き足したりしなければならないので、背景はつらそう。ゲームの街とか使えるのあるんじゃないかって思ってるけど、やっぱ初心者には難しいんだろうな。
    <br />

終物語


作中では、羽川さんの主張は常に正しいものだと描かれている。これは、扇さんの場合も同じであり、予め見せ方は決まっているようだった。

そんなことを思いました。


ハッカドール



前回の補足


ごちうさの話、正確にはチノの心の中というかチノの本質でした。

つまり、心の中という表現は間違いでした。

これだと日頃チノが思ってることや考えてることになってしまって、それは違いますからね。

ハッカドールみてみた


意味がわからなさすぎて、やばい


ごちうさ2期をちょっとだけ見た


ごちうさ2を視聴して面白かったので、簡単な感想でも書きます。

視聴したきっかけは、感想記事でココアの姉がでてきて面白いという話を聞いたので。

実際見てみたら、すごく面白かったです。

こういう回があると、やっぱり人気がでる理由わかるなあと思いました。そういえば、1期も4話あたりすごく面白かった記憶がある。

個人的には、ごちうさのノリって基本合わない気がしてるんですけど、面白い話は面白い。

私は、ココア推しなんだけど、実はそれほど推してるわけでもなく、みんないい味を出していると思っている。

でも作中では物語をグイグイ引っ張るのは、やはりココアで、こういうのは、主人公が割りと空気になるけいおん!やパンでPeace!、もっと言えば、ゆるゆり、ひだまりスケッチなどとの違いだと思う。

日常系では、主人公がわりと空気になりがちだけど、ごちうさでは、ココアがグイグイなので、それがごちうさの特徴や良さでもありそう。

でも今回の話はそれが崩れて、すごいモカさんが目立ってたし、物語を引っ張ってた気がする。ココアさんが割りと空気になりかけてた。

個人的にはそこが面白かったのかもしれないなと分析しています。

ごちうさは、個人的にはあまり合わなかった作品ではあるのですが、好きな人は好きですよね。

追記


その後、適当な感じで視聴してたのですが、チノが酔っ払う話があり、それがとても印象に残ってます。

なんというかチノがすごい可愛かった話を思い出しました。私はチノはあまり好きではないのですが、正直、この話があってからは、そこはかとなくチノのファンです(ファンと言えるほどのものでもないかもですが

いつもは現実の中、強がっていて(強がってなくちゃいけなくて)、決して心の中を見せない風なチノなんですけど、

酔っ払ったときって本音が出るというか、心の中がさらけ出されるとよく言われますので、チノの心の中は本当はあんな感じなのかもしれませんね。


クラナドの評価


Steamというゲームのプラットフォームがあるのですが、そこでクラナドが販売されたらしい。

私はゲームはやったことないのですが、アニメは見たことがあります。

このアニメ(ゲームも多分)はすごい作品です。

最初の感想は、あまり良いものではありませんでした。1話とか2話。

絵もすごく古かったし(私が見たのは放送がとっくに終わっていた時期でした)、またハーレム萌えアニメかなという印象でした。別に嫌いでもないけど、好きでもないというか、そんな感じでした。

ただ、それでも我慢して視聴してると、話はどんどん面白くなってきます。そして、最後には「ここまですごいアニメは見たことない」という感想になりました。

クラナドは、私がアニメにハマったきっかけ、その2になった作品の一つです。けいおん、クラナドとみて一気にアニメにハマりました。

なので、とても思い入れがある作品です。

そういえば、今でも自分の中のアニメランキングではクラナドかけいおん!が一位ですね。

クラナドのアニメ、最初はつまらないかもしれませんが、最後まで見てみることをおすすめします。After(2期)のラストまで見てほしい作品です。


パンでピースの最新話を読んだ


パンでPeace!の最新話。

のあは、性格的に男の子っぽく、ひふみは逆に女の子っぽく、主人公はどちらでもなくて、眼鏡の人は現実味のあるオタクやクリエイターっぽい印象。


パンでピースの感想

ComicWalkerというもので公開されています。面白い漫画がたくさんあります。

MMDではなくMMMというものを触ってみた


MMMを1時間ほど触って、一応、動画ができた。MMDは1度ほど触ってみたことがあって、でも正直、モデルのインポートが遅すぎたので、それ以降触ってないし、あれで動画編集とかやる気が起きなかったので、その点では、MMMは、使いやすいと思った。

でも作った動画は、書き出しに時間がかかりすぎるし、自分のマシンパワーでは動画編集作業はきつかった気がするなあ。MacBook AirでかつVirtualBox上のWindowsなので、当然ながらきつい。

なので、GIFにして本ブログに書いたけど、画像のみでこんな感じ。




openshot-mpegstreamclip-aviutl


私の場合、動画編集はどうしているのかというと、今までは、MPEG Streamclipを使ってたりした。しかし、MMDの人達は、AviUtlを使うらしい。

といっても、基本的には、ffmpegimagemagickの組み合わせでどうにかなってしまうことが多く、それほどGUIアプリを使うことはないのだけど、それでも、MMDのような動画を編集するには、GUIがどうしても必要で、どのアプリがいいのか、正直、あまり詳しくないので、調べようかなと思ってる。

ということで、適当に調べることに。

流石にここらへんは調べるのに苦労しそうだけど、実は、Arch Linuxユーザーは、いい感じのアプリを使ってる事が多いので、とりあえず、Arch Wikiを見てみた。

https://wiki.archlinux.org/index.php/List_of_applications#Video_editors

結果、Linuxでクリエイティブ系のアプリは難しいという結論に。GIMPとかも使いこなすの非常に難しいし。とりあえずこの中ではOpen Shotとかが良さそうな感じがした。


UE4を触ってみた


Unityというゲーム開発アプリがあるのだけど、UE4を使ってる人も多い。

特に参考になるのが、ちょむメモというブログやラビットガーデンだったのでメモ。

ちょむメモの人は、MMMのプラグインを作成されていたり、ラビットの人は、青葉ユニティちゃんを作成されていたりするので、すごい。

ちなみに、Live2Dというのはこんなの。

http://www.live2d.com/cubism2-1/index.html


VSCODE


この前、vscodeをダウンロードして使ってみました。便利。


写真から感情を判断するAPI


写真から人の感情を判定するAPIがMicrosoftから公開されました。これで写真からある程度どんな感じの人なのかわかりそうですね、面白そうだし、非常に便利そうです。

https://www.projectoxford.ai/demo/Emotion#detection


curl -v -X POST "https://api.projectoxford.ai/emotion/v1.0/recognize?faceRectangles={string}"
-H "Content-Type: application/json"
-H "Ocp-Apim-Subscription-Key: {subscription key}"

--data-ascii "{body}"


docs


創作物と作者の関係


素晴らしく人気の作品の作者が、その作品の雰囲気と同一だとは限らない。

これは、当然のことだろう。

しかし、考えても見て欲しいのだけど、例えば、文章を書いている人も、その文章の雰囲気と同一だとは限らないということだ。

また、対面しても、仲良くなっても、よくしゃべっていても、それでもその人のことは実はよくわからないのかもしれない。

さて、ここで、創作物と一般的な文章(これも一応は創作物だが、ここで言う創作物はより複合的なものをいう、絵や音楽など)を比べると、どちらのほうが情報量が多いだろうか。どちらのほうが作るのが難しいだろうか。

文章を作るだけなのは、創作物を作るよりも簡単だ。

しかし、それ故に、単なる文章は、読者に与える情報量も少なくなりがちである。

ここで、例えば、漫画作品とラノベでは、漫画のほうが圧倒的に情報量が多い。そして、作るのも難しい。

だとすると、どちらがより作者を現すことが多いだろうか。

私は、単なる文章よりも何らかの創作物のほうが、より作者を現すことも多いだろうと考えている。それを読み取れるかどうかは別にして、それを読み取れるとしたらだが。

ちなみに、漫画でも複数の人がチームとなって作っているので、その場合はどうなるのかと考えられる人もいるかもしれないので、その場合について答えておこう。

チームの中には権限が強い人がいるのが通常だ。監督とか、原作者とか。この場合、その権限が強い人の思想が作品により大きく現れやすいと考える。もちろん、チームのメンバーのものもその比率に応じて現れると思われる。これを集団としての思想と捉えても良いし、個別的割合的に考えても良いと思う。

とはいっても、この世に立ち現われているものであるかぎり、そこからは、何かを読み取れるということだ。

それは、文章であれ、創作物であれ変わらない。

以前、「ネットではその人の本質を隠すことはできない」という記事を読んだことがある。私は、絶対ではないが、ネットではその人の本質が出やすいだろうとそう考えている。

今回の話も、割とそれに似た結論を述べているに過ぎない。

絶対ではないが、創作物は、単なる文章よりも、その人の本質が出やすいものだと私は思う。


区別しないことの弱点


適性の話ですが、適性の本質の話、具体的には、誰が言ったかで判断する人と、何を言ったかで判断する人がいるって話です。

この話は、単純な優劣の話ではないんですよね。何事も区別なく行える人間が偉いという話では全くないです。

例えば、あらゆる物事を区別しない人間は、過去幾多の経歴や実績というものを全くもって重視せず、見向きもしない点で、それは弱点でもあると思います。

今目の前にあるものだけを物事の判断材料にすることが、常に正しいというわけでもないからです。

過去の実績、その積み重ね、それも重視されるべきもであり、それを重視したからこそ、区別があり、歴史があるのだと私は思いますが、その区別が必ずしも間違いというわけでもないとも考えています。

これには、良い面もあれば、悪い面もあるのでしょうが、それは、一定限度尊重されるべきものだと思います。

有名人と一般人の区別なく考えるというのは、聞こえはいいですが、そもそも有名になろうとした場合、過去の積み重なる努力と実績が必要なわけで、それを考慮するというのは、時に、正しい判断です。

なので、有名人の話ばかりする人というのは、一般的にその実績を評価しているわけであり、それが悪いことだというわけではありません。

したがって、より区別する人間と、より区別しない人間、どちらが正しいのか、一概には言えません。

よって、この話は、単純な優劣の話ではありません。

これだけは、補足しておかなければなあと思ったので、補足しておくことにします。


何事も区別なく



あなたは、その人が何を言ったかではなく、誰が言ったかで物事を判断していないでしょうか。

誰が言ったかで判断する人と何を言ったかで判断する人がいて、この性質を変容させるのは特に難しいです。

生まれながら、もしくは生まれてからほんの数年でこういった傾向は出てくるのではないでえしょうか。

あの人は嫌いだから反対、あの人は好きだから...。

こうやって物事を決めつけてしまっていることも多いですよね。

その理由は、やはり、人は感情から結論を導き出し、それが間違っているとも思ってないからだと考えられます。

でもある程度正しい判断と言うか、将来的にもある程度通用する判断というのは、好き嫌いに左右された判断でないことも多い気がします。

要は、何事も区別なく、であると思います。

何事も区別なくというのは、「何事も区別なく、心を消して考える」ということなのかもしれません。

例えば、神々と一般人の区別なく、有名人と一般人の区別なく、一般人と一般人の区別なく、自分と他者の区別なく、考える事だと思います。

最初から優先順位を付けたり、何かを崇めたり、見下したりという傾向を生まれ持つ人は、多分ですが、その人生のほとんどが間違いだったと感じる人も多いのではないでしょうか。本人はそれを認めないかもしれませんが、事実として見た場合の話。

なぜなら、この世に絶対なんてないからだと私は考えています。

なぜ将来的に間違いだったとわかることの多くが、区別したり、最初から優先順位をつけたり、その時の好き嫌いによって決めつけたりしたことなのかというと、この世に絶対なんてないからだと思います。

反対に、なぜ将来的にもある程度継続して有効に働くものが、その時の好き嫌いに左右された判断でないことが多いのかというと、これも、絶対なんてどこにもないからだと思います。

絶対と決めつけた瞬間、それはこの世界の原理から外れてしまうが故にどうあってもやがて崩れ落ちていく運命なのかもしれません。

しかし、そのことを理解した上での判断なら、ある程度長く継続させやすいのではないでしょうか。

よくわからない抽象的な話でした。

おわり。


何が言いたいのかよくわからない記事

何が言いたいのかよくわからない記事だったので、大半を削除しました。

多分、何事も簡単に大げさに言ってしまう人を見て、嫌気が差したのでしょう。口だけの人はたいてい、そんな風なようなこと言います。しかし、そこを見抜けない人もいるかもしれませんし、もしかしたら世の中には多いのかもしれません。

例えば事例形式では以下の記事が参考になります。というかこういうのは一度読んで見ることをおすすめします。どちらの言い分が正しいかという話ではありません。第三者にはそれは分かりませんが、口が上手い人も世の中にいるかもしれないという可能性を考えるためのものとして。

http://hotmiyacchi.hatenablog.com/entry/2015/10/19/105940
http://matome.naver.jp/odai/2144527970201722701

私は物事を大げさに吹聴したがる人や有名人の話ばかりする人、そして、私はこんな有名人と友達なんだという人は実力が乏しく、口だけが上手な可能性も高いと考えています。

もちろん、必ずそうであるとは限りません。大げさに言う人の中には実力者もいることでしょう。

しかし、自分をより大きく見せかけようとする人も中にはいて、自分が小さい人ほどその傾向が強いのではないかと思います。

基本、いつも偉そうに威張り散らしたり、他人をむやみに攻撃したりしている人は危険です。その理由は他のブログに書くかもしれませんが、エンジニアの立ち居振る舞いみたいなテーマが最近話題で、私自身は全く関係ないのですが、それに関して私の考えを述べると、エンジニアに限らずクリエイターは「傲慢にならない」ことが最も重要だと考えています。簡潔に説明すると、世の中はすごいスピードで変化していきます。ここで傲慢は停滞を意味するので、それが最も危険だと私は考えるからです。10年、20年後、または50年後にはあなたがやってきたことなどゴミになっているかもしれません。その間、次々に新しい才能や技術が飛び出してくるでしょう。そんな中、クリエイターは傲慢になったらおしまいです。私はそう思います。もちろん、昔話をして周りに威張り散らす分には全然傲慢でもかまわないと思いますが、客観的に俯瞰されると、彼は単なる役立たずということになります。今という時がそう記憶するでしょうし、私自身もそんな見方をします。

有名人の話ばかりしていて自分で語らない人、他人の批判ばかりしている人、突拍子もない断定をしたり(言い方的に)、関係ない話ばかりする人、よくわからない事ばかり言う人(会話は相手のレベルに合わせなければならず、それができてない時点で能力的にも怪しい)とかは口は上手な傾向にありますが、それが本当のはなしかどうかも分かりませんし、何より、関係ないのだと思います。

有名人の話も本人とは全く関係がなく、正直どうでもいいことだと思います。また、批判はもちろん構いませんが、それよりも重要なのは問題の解決法です。それが提示されていない時点で、その批判はあまり意味が無い場合も多いのかもしれません。断定的な物言いも、世間受けは良いですが、視野の広さに疑問が浮かびます。よくわからないことや、わざと相手が知らない難しい話を持ち出したりする人は、あなたのことを欺こうとしている可能性があります。なぜなら、そんな会話をすること自体が無意味であり、それをやろうとすることは本人にとって何かメリットがあることが多いからです(通常は)。

そんな感じなので、騙されるほうも騙す方もやはり、自分のことしか考えてない場合が多く、それさえクリアすれば、そこそこ地雷を踏まなくてすむのではないかと思われます。といっても、自分のことしか考えてない人に限って「他人のことを考えている」と思っている人も多いので、これが何かの役立つかどうかというと、微妙なところでもあります。最後駆け足になって、若干意味不明ですが、これでおわり。

選び取る


私は選択を重要だと考えています。

これは前回の続きからになりますが、自分の心を知ることが重要だと言ったのも選択という要素が生まれるからだと思います。

自分の心を知らないうちは私は選択していないのだと思います。自分がどうあるべきかその人は選択していないのです。

私は自分の心を知った上で、あえてそれを選び取ることが良いと考えています。

それが自然体がベストだということにもつながってくるような気がしました。

おわり。


自然体はいいよ



自然体


正しいと思ってることでも、人は実行できない事がよくあります。

それもそのはず、人には適正というものがあるからでしょう。これを自然体といいます(違うか、まあ、ここではということで)。

その人の適正に沿った生き方が、その人にとっての最大値だと私は思います。

頭ではわかっているが、心が拒絶しているならば、それがあなた自身であり、それ自体には良いも悪いもないと思われます。

良し悪しは関係ないし、考えてはならないでしょう。拒絶していることは良いことだろうか、悪いことだろうかと評価してはならないと思います。ただ、拒絶している心を知ればいいだけだと思います。

これが一般的に言えばとても難しいことだと言われています。

自分の心を知るのが。

おわり。


直感的に考えること


物語シリーズ、アニメの羽川さんは、多くの人が見落としそうな細かな要素を拾い集め、下から順に積み上げていくのが特徴で。

それは、小さな積み木から組み上げるので、しっかりと、押されても簡単には倒れない。

ただし、積み上がるまでに時間がかかりそうな気がしました。

皆、積み上げた先には、答えを置くのだけれど。

反対に、直感的な考えとかは、なにもないところから積み上げるのが通常です。最初から答えが宙に浮いているイメージですね。ここでは最後に載せる積み木が浮いているという感じでしょうか。

積み上げるというか、積み下げることになりますね。

おわり。


運命と



運命と運


運とは、本質的には、自分の力ではどうしようもない事を意味することが多いです。後々考えても、これはどうやっても回避不可能だったな、みたいなことですね。

では、運命は予め決められているのでしょうか。

わたしは、そんなものは決められていないと思います。それではゲームが面白くなさすぎますよね。究極的なバランスを考えられたゲームなら、きっと同じ行動をしても時と場合によって違う結果になるようプログラムされているはずです。

しかし、あたかも決めつけられているように感じる状況も確かに存在する、とおもいます。

運命などは予め決められてもいないし、ちっぽけな存在一つ一つにわざわざそのような仰々しいものが設定されているはずもないとは思います。

ただし、ちっぽけな存在一つにしてみれば、それが設定されているに等しい状況もあるだろうし、そういうふうに感じることもあるかもしれないと思います。

これも単に立場的な物言いに過ぎませんので答えはありません。

おわり。


ゲームと現実

ゲームと現実の世界の区別

私はあまりこういった区別は好きではありません。すべてが現実の一つに過ぎないと考えるからです。そして、外の世界があります。家の外にも世界があり、日本の外にも世界があり、地球の外にも世界があり、宇宙の外にも世界があるのと同じように、ゲームの外にも、外の世界が在るというに過ぎません。驚くべきことは何もない、そんな風に思いました。

はあ、過去記事を読み直すと色々めんどくさすぎて落ち込みます。

MT4でEAを作ってみた2


買いシステムがなかなかいいのができなくて、特に時間をかけているわけでもないので、単に作業量の問題なのだと思うけど、一応、私なりのEAの作り方を紹介します。

と言っても、初心者だし、自分で考えたことなので、間違っているか、正しいのかすらわからない。しかし、確率的に言って間違っている確率のほうが高いと思われます。

では、ここで言う間違いと言うのはなんでしょう。それは、EAの目的から考えて見れば明らかです。EAの目的は継続利益を出すこと、もしくは戦略的利益を出すことです。で、私が作ったEAはデモもやってないし、実取引でも利用したこともないので、EAというのは、こういうことをやって初めてダメな部分が見えてくるものであり、それを修正していくことで良くなっていくと考えているので、多分、EAの目的である継続利益、戦略的利益の達成は現時点では難しいのではないかと判断します。

ただ、間違いや正解というのは、単に、利益を出せるか否か、もしくは出せてきたかどうかに過ぎません。それだけに、初心者が作ったものが即座に間違いに繋がるわけでも、上級者が作ったものが即座に正解に繋がるわけでもありません。これらは、あくまで個人的期待値を考えた場合のとりあえずの結論にすぎないので、実際にやってみないとわからないというのがほんとうのところですね。

こういうことを書いているうちに、ちょっとした買いシステムができました。

###GBP/JPY : M15, 2012.01.01-2015.11.05



JPY : 200000 -> 324623899

ST : -100pips

さて、今回作ってみた買いシステムは、EAの目的である戦略的利益を出すことを目的にしています。継続的ではない。ここで、戦略的利益というのは、簡単に言うと、連続勝ちを狙い、一気に原資を増やすことを言います。ストップにかかった時点で終了。ちなみに、ストップは-150pipsから-200pipsに設定(実際は-100pipsでテスト)。一度の利益はやはり、+200pipsから+500pips程度を狙います(テストでは+400pipsから+1000pips以上)。バックテストでは、負け、つまり、ストップには一回もかかっていません。しかし、だからこそ、一度でもストップにかかってしまうと、連続勝ちを狙うこのシステム戦略は失敗したことになり、かつロジック的にも破綻したと認められることから、そこで終了です。

このEAの想定できる最悪の事態は、一回目でストップにかかって-200pipsをくらうこと。この場合、原資の半分以上が無くなります。次の最悪は2回目にストップにかかること。一応、2回目の場合はかろうじてプラス決算になっている予定ですが、それでも、そこで終了してください。ストップにかかった時点で終了。

このシステムは、ストップにかかることを想定していない、限界底辺で買って、そこそこで売るというロジックであり、連続勝ちを狙う戦略なので、ストップにかかるということは、その戦略が破綻したということです。なので、ストップにかかった時点で終了。もし一回目でストップにかかったら運が悪かったとしか言いようが無い感じがしますが、まあ、そんな感じで。

ここで、私のEAの作り方は、大きな時間軸でロジックを構築し、ロジックの構築には、直感的プログラミングとビジュアルモードを使います。そして、バックテストが上手くいきはじめたら、そのロジックを短い時間軸に落とし込んでいきます。ストップは想定よりも-10,-20pipsでとりあえず検証してみることに。今のところ、こんな感じ。でも、短い時間軸に落とし込んでいく作業を、時間かかりそうなのでやってないという...。

それに、あまり毎日取引させるのって、見てるこちらも疲れそうで、なんか楽な方、楽な方で考えてしまう。ストップで終了するというロジックも、一つにそれがあるからで...。

だって、連続ドローダウンって、精神的に、きつそうな気がするんだもん。なので、私の場合は、継続的利益を追求するシステムよりも、戦略的利益、つまり、一時的に有効な相場ポイントをターゲットにして、そこで一気に原資を増やすことを目指す、もしそれがダメなら、一度でも失敗すればすぐ撤退、というそんな感じのシステムを意識的に作りやすい気がする。だから、バックテスト期間も比較的短く行ってるだけです(そもそもバックテストはあまり信用もしてないけどね)。バックテストよりも実践で得られる失敗、データ、感覚のほうがよほど重要なんじゃないかなあ。これを言ってしまうと、負けないと一定のものは作れなさそうな気もしてるんですよね。

そういえば、EAを作ってる人って、何故か皆、継続的利益追求型な人が多い印象。個人的には、そんなん可能なのかなあと思っている。もしくは、作るのにすごい時間掛かりそうで、難しそう。それは、相場状況に応じて複数のロジックを組まなければならないからかと。

私の作るシステムは非常に単純で、ボリンジャーバンドとローソク足しか使っていません。ロジックとしては、月足からみて、下落相場における日足での底を狙うシステムです。エントリーするタイミングはM15で決します。通常は上昇相場における買いを目指すものですが、あえて難しいところ、勝ちにくいところを狙っているシステムです。


MT4でEAを作ってみた


MT4で作ったEAのSELLシステム、ストップの値を変更してバックテストしてみると、実力がわかるという話を聞いたので、値を-10,-20(きつめ)に変更してテストしてみました。

結果はあまり変わらず。それもそうか。このシステムはストップにかかる前に損切りするようにしているシステムなので。つまり、有事の際、または、ロジック上の誤りの場合のみストップにかかる仕組み。

##ST:100pips(デフォルト)

JPY : 200000 -> 16067108



##ST:80pips

JPY : 200000 -> 15970745



最大損失は、1年のうち1回のみで4.93枚の時に-17.4pips(JPY:-85782)やられている。平均的な勝ちは+140pips程度。多い時で+500pips程度で利益確定している。基本的に上昇相場での売りでも利益を上げられるが、利を大きく伸ばしたのが2015/08/20 - 2015/08/24と2015/9/1 - 2015/9/2の急下落をとらえた時。

どうやら私が作ったEAのロジックは、偶然にも最近の相場傾向に適している可能性が高いらしい。しかし、今後もこのシステムで勝てるとは言ってないし、そもそもバックテストを行った期間中だって実際やってみると勝てなかったかもしれないと思う。

思うに、このシステムは、単に運良く連勝していることによって、成り立っている感じがする。

あと、取引数が極端に少ないこと、売りのみの限定トレードであることが弱点だと思う。

運用面での注意は、一度、ストップにかかったら止めたほうが良い。本来的にはストップにかかる前に損切りするシステムなので。

そういえば、EA作りは割とすぐに飽きてしまったので、最初に作ったこのシステム以外には2,3個作ったのみで、あまりテストしてなかったりする。でもEA作りしている人のブログはよく読むようになったなあ。


Androidのシステム認証

最近、2段階認証をデフォルトにして設定していることが多いのですが、そこで便利なのが、Google Authenticatorです。

ただし、このようなアプリで2段階認証を設定していると、スマホやタブレットを失くしたり、初期化したり、落としたり、水没させてしまったり、壊してしまったりした場合は、アカウントにアクセスできなくなります。

DropBox,GitHubなどは、2段階認証を有効にすると、Recovery Codeを発行してくれますが、他のサービスが常にRecovery Codeを発行してくれるとは限りません。Google,Yahooなどは発行してなかったような気がします。

したがって、このアプリを使う場合も、常にバックアップを心がけて、最低でも2つの端末で認証コードを発行できるようにしといたほうが良いかもしれません。


FF10-2


FF10-2をVitaで購入したけど、結局やらなかった


パンでPiace!


私は菓子パンが好きなんですが、おにぎりのほうが調子がよいです。

漫画とは関係ない話でした。

おわり


パンでPiaceという漫画を読んでみた

コミックウォーカーで公開されている作品で、そういえば短編アニメ化もしていました。

便利なもの


PSPとVITAを比べると「PSPより不便になっている」と感じる部分が多かったです。

反対にiOSやAndroidのようなスマホOSって基本的には便利になっていくんですよね。

なんだろうかこの違いは。考え方の違いかなあ、やっぱり。


yourdiary+の感想


PSPで初期の頃にやったギャルゲー。アニメを視聴し始めてからこういうゲームに興味を持ち、プレイしてみたけど、すごく良かったという思い出がある。したがって、なんとなしに再プレイしてみたので、感想を書きます。感想の文体はなんとなくノベル風でいきます。なんとなく。

あと、基本的にこの作品に登場する人物って全員好きなんですが、この記事では、特別に好きかどうかを書いてる事が多いです。なので、読まれる際は注意してください。

ユア


最初に攻略したのが、ユアだった。

僕は、こういうゲームでも一番気になっている、正確に言うと、意識はしていないが、心のなかで気になっている相手を優先的に攻略していくことが多いらしい。

そんな理由から、ユアの物語を最初に攻略することになったのだと今ではそう思う。

いや、攻略というものをはじめから考えていたわけじゃない。

僕はゲームでは、はじめは攻略を全く考えない。

ただ、心の赴くままに物語を楽しむだけだ。そして、後々になって、こういう攻略をしてたんだと認識しはじめる。

今回は、ユアがまさしくそれだった。

でも、僕は、最終的に、ユアを好きになることはできなかった気がする。

このゲームでは、みんなお気に入りだけど、その中で僕にとっての特別はいなかった。

色々な作品を楽しんでいると、人は、自分にとっての特別なキャラクター、特別に愛着を持ったキャラクターというのを見出すもので、僕もその一人だと思う。

むしろ、ギャルゲーというものはこういったキャラクターを見つけるために、プレイするものなのかもしれない。そういう人が居てもおかしくないように思ったんだ。

この作品自体は素晴らしいものだったけど、僕の心のなかで特別になったキャラクターは、残念ながらいなかった。

そして、僕にとって、その最初の候補がユアだった。

ちなみに、本作で一番好きなキャラは、僕はユアのお姉さんだった。でも彼女の物語はここにはないし、それを求めているわけでもなかった。

一番初めにこんなことを書いてしまったけど、ユアはとても良い奴だった。

だけど、ユアの本質を、僕は好きになれなかったのだと思う。

ユアは、本作では誰よりも繊細で傷つきやすく心優しいキャラクターだと思っている。

明るくて元気なユアの第一印象は、これとは全く逆の印象を受けやすいと思うけど、僕はなんとなく、ユアが誰よりも繊細であることを知っていたような、そんな気がした。第一印象で、ユアは、孤独の人...そう思った。そして、最後まで諦めない強さ、そういう寂しさを持った人だと思った。

物語を進めると、その孤独は、彼女の環境からくるものじゃなかった。普通は、環境がその人物の本質を決するものだ。しかし、ユアは僕からみると、そうじゃなかった。

むしろ、ユア本来の性格が孤独を望む者だったのだと思う。

だけど、ユアは、主人公に恋をして、なんかおかしくなった。

具体的には、誰かがそばに居ないと、孤独に耐えられない、壊れてしまう、そんなふうになってしまったような気がした。

僕は、なんか前のユアのほうが好きだった。全部を好きなユアのほうが好きだった。

主人公であり、僕の分身、とまでは言わないまでも、特にゲーム作品においては、最も自分に近しい者になるはずの主人公を好きになっていくユアを、僕は何故か好きになれなかった。

唯一、主人公を好きになったユアでよかったのは、自分を隠そうとしないところだった。

多くの人は、歳を重ねるごとに、自分を隠そうと、自分の本心を隠そうと必死になる気がする。なぜだろう、嫉妬という心はそんなにみっともないものなんだろうか。ユアはそれを知らないが故に、他のキャラとは違いそれを隠そうとしなかった。そして、僕はそのことを大いに気に入った。

昔プレイして、ユアの物語は、まさにユアそのものを体現していたような思い出がある。

以前プレイした時の感想は、覚えているだけで、ユアの物語は、どこまでも寂しくて、悲しくて、ユアの泣き顔しか覚えてなくて、それでも、最後だけは、諦めずにユア自身が笑顔をつかみとったような、そんな物語だったような覚えがあるのだ。

もう一度、プレイしてみることで、その印象を変えられるかもしれないと、僕は少し期待してたんだ。

でも、結局、僕がユアに抱いた印象も感想も、以前と何も変わらなかった。

ユアの物語を、今一度プレイしてみて、それを思い出した、いや、思い知ったよ。

なんかユアの悪口ばかり書いてしまった気がするので、ユアの気に入ってるところを最後に書こうと思う。

僕がゆあのことを気に入った部分は、特にその子供っぽさだった。

僕は子供っぽいキャラが基本的には好きだ。

それは、僕自身がそうであるように、ゆあは、基本的に他の女の子たちの話題に加わらず、かつそれがよくわからないという描写が多かった。

例えば、女の子たちが胸の話に夢中なとき、ゆあはそんなことどうでもいいとばかりに無関心だった。

ちょっぴり大人っぽい恋愛戦略的な話になっても、ゆあは、難しくてよくわからないという感じだった。

恋の駆け引きの話になっても、ゆあは、それを気にもしてなかった。

僕自身もそういう話題にはついていけないし、興味もないことが多かった。

アニメやゲームでは、なぜか女の子の胸の大きさ話題は定番だけど、僕は、胸の大きさなんて本当にどうでもいいことだ、気にするなんてバカバカしい、そう思っている。

恋の話もそれ自体は好きだった。つまり誰が誰を好きなのかということ自体は好きだ。しかし、それ以外には、僕は興味がなかった。理由なんて、戦略なんて、考えなんて、スペックなんて、そんなのどうでもいいじゃないか、僕はそう思ってるんだと思う。

ゆあも、そういうことに無頓着、かつ無関心だった。そういう話題を振らないし、そういう話題に入らないし、入れない。そういうところが僕にとって、とても安心できる要素だった。

僕は、ずっと一緒に遊んでいられる、ずっと一緒に無邪気で、他のことなんて気にもせず、そうやって遊んでいられる、ただそれだけで幸せになれる、そういうキャラが好きになりやすい気がする。ゆあは、その点で、僕にとって、とても安心できるそういうキャラだったんだと思う。

でも、ゆあには、何かを必死で頑張ろうとしているところがあった。明確な目標や理想があり、役割があった。

ゆあは、本人自身もよくわかっていない神様としての立場があった。それに夢中になりすぎて、失敗し、傷つき、様々な不安をいだき、泣いてしまうユアが僕は見ていてとても不安を覚えた。

そして、それが最後の方、ゆあと深く関わりあっていくごとに、よりはっきりとしてくる。

その辺りから、僕はゆあという人に少し疲れてしまったのだと思う。

別に必死で頑張ろうとしている奴が嫌いなわけじゃない。頑張っては失敗して、泣いてしまう奴が嫌いなわけじゃない。そういうのは素晴らしい長所だし、人々を感動させられる要素の一つだとそう思う。

でもそれが強力すぎたのがゆあだった。

ネガティブ面がポジティブ面を圧倒的に打ち破るほどに強すぎた。僕はゆあのそれを受け止められなかったのだろう。

僕は、こうは言ってるけど、ゆあはゆあだ、それでいいんだって思う。ああすればよかった、こうすればよかったっていう話じゃない。

単に、僕自身は、ゆあはゆあだからこそ、あまり好きになれなかったし、合わなかったのだと思う。

合うところも、もちろんあったけど、合わないところも大きかったのだと思う。

ゆあは、揺らぎが、波動がとても大きかった。その揺らぎが魅力にも映ることは多いけど、僕は揺らぎがなるべく少ない、そんな人を好きになりやすいと思ったんだ。

綾瀬


名前でわからない人もいると思うので、...もちろん、僕のことだけど、黒髪美女の先輩が綾瀬さんだ。

この人は、一番メルヘンチックで、夢見がちで、そして、甘えん坊な女の子だったと思う。

確かに、見た目や外での彼女の行動は、しっかりもの、頭がいい、なんでもできる、お嬢様風に見られてたと思うけど、僕はそれとは全く違う印象を、いや本質的な印象を持った。初めて見た時からそうだった。これもアニメやゲームお決まりのパターン的な思考回路から導き出された結論なのかもしれないけれど、僕はそれを知らないし、確定させようとも思わない。

彼女は、すごく、すごく寂しそうで、何かゆあの秘密があるのだなと初回から匂わせてきた。秘密の過去、謎の過去、それが本作での彼女の魅力の一つだったと思う。

でも、僕は、そんな彼女の過去には興味がなかったんだ。確かに、少しは気になってはいた。けど、僕は、彼女を攻略したのは最後だった。初めてのプレイの時も今回も、やっぱり、同じように、彼女の物語は最後になってしまった。

実は、前回のプレイでは、彼女の物語はゲームに飽きて、しばらくして、攻略してなかったただ一人の彼女を攻略したという経緯がある。それほどに、僕は彼女自身、そして、彼女の秘密の過去には興味がなかった。

予想に反し、いや、正確には僕の興味に反し、彼女の物語は、本作では随一に面白かった。

そして、彼女とゆあは、それこそ特別な関係だった。昔話、特に、寂しく悲しい過去の物語は、やはり、感動を誘うもので、とても良かったというのを覚えていたんだ。

彼女は、とても甘えん坊な本質とは裏腹に、日常的にそれは抑圧されてしまっている。1つに優等生、2つに先輩という立場があるからだろう。だからこそ、自分を受け入れてくれる存在に対しては、その反動は容赦なく突きつけられる。それは、現在は主人公に、そして過去にはゆあにだった。

ゆあが彼女に甘えたのではなかった。

彼女がゆあに甘えたのだ、甘えていたのだと僕はそう考えている。

ユアよりも甘えん坊の綾瀬先輩。僕の印象はこんな感じだった。

甘えん坊に見えて、とても強いゆあと、強そうに見えて、とても甘えん坊な彼女は、面白い組み合わせだと思う。

ゆあは、最後には一人で立ち上がれる、そういう強さを持つ人だ。

でも先輩は、割と脆い面があり、ずっと引きずってしまう。

一目見て、そんな彼女に、僕はあまり興味を持てなかったんだ。

だからこそ、攻略は最後になってしまったんだと思う。

でも、彼女の物語は、本作では随一に面白い。懐かしいあの頃を思い出す、そんな彼女の物語に、自分自身を見いだし、そして、いろいろと思い出したのだろうと思う。

むかしむかしのおはなしは、時に寂しく、時に懐かしく、時に悲しく、時に嬉しい。そんな感情を、複雑な感情を呼び覚まし、それが様々な音から成る音楽を奏でるように、僕は自分を思い出すことができる。

感動というものには、いっぱい、それぞれのいっぱいがつまっているんだ。

だから、むかしむかしのおはなしは、それを引き出すには、とても効果が高いように、僕はそう感じている。

夕陽


夕陽は、主人公が大好きながらも、それを口に出せず、時に嫉妬し、時に恥ずかしがる、そんな幼なじみだった。

大好きという表現は少し子供っぽいかもしれないなと思い、夕陽風に言い直すことにすると、結婚したい、夫婦になりたい、恋人になりたい、そんな契約や約束で結ばれていたい、そういう感情が強いのが夕陽だった。

僕は、夕陽のことを、とても素直で、誠実で、作中で一番信頼できる人だなとそう感じた。

もちろん、それらは、主人公に対してだけど、夕陽は、一度好きになった相手を愚直に尊重できる、そういう人だと思う。

その点では、主人公とはとてもお似合いだ。周りの人たちもそう感じていたからこそ、二人をくっつけようとしていたんだろう。

多くの人にとって、結婚や恋人という契約を考えると、僕は、夕陽みたいな女の子が最も好まれるとそう考えている。

契約において最も重要なのが、信頼だからだろう。

この点、僕の思考はとても単純だ。今までも、そして、これからも、それは変わらない。

僕は、何かについて説明を求められた時、相手が本気で答えを求めているならば、どんな問題でも答えることができる自信があった。もちろん、単に自信過剰なだけで、間違いかもしれないが、僕にはこういった自信が一つにはあったんだ。

これは、どのような問題でも、だ。

答えがないような、正しさがないような、迷いの森のような問題にも、僕は明確で単純な答えを示すと思う。

もちろん、やってみないとわからないけれど、僕の想定では、今までにこれに失敗したことはなかった。

ただ、今までになかったからといって、これからもないだろうと予測するのは、時期尚早かもしれない。それだけに、客観的には、僕は浅はかで、そして、深みがない人間だった。

いや、これは僕がそう思っていることじゃない。皆が思うであろうこと、もしくは人生経験豊富な先輩が、大人が、老人が僕を見て思うことでもあると思う。

さて、僕の話は、どうでもいいとして、夕陽の話だけど、夕陽は好きな人を裏切らない、そういう信頼できる人だということ、そして、契約においては信頼がもっとも重要であることから、多くの人にとっては、結婚、恋愛契約において夕陽は最もおすすめできる人物だと思った。

物語を深く知ってからではなく、割とはじめの方で、僕は、そういうことを瞬時に思ってしまったんだ。

これを夕陽に聞かれたら、怒られてしまいそうでもあるし、恥ずかしがられてしまいそうでもあるんだけどね。

怒られてしまいそうというのは、一つに、契約という言葉。

これが、一般的には非常に良い印象を持たない。特に、感情面での話題において、それは忌避されてしまいがちだと思っている。

でも夕陽は、そういう確固たる約束ごとを欲している、僕の目には最初にそう映った。

こういうのを聞くと、そんな関係を欲しているなんて、欲張り、不誠実、姑息、卑怯などという言葉が聞こえてきそうだけど、実はそうじゃない。

幼なじみという曖昧な関係において、そういう確固たる関係にアップグレードしたいと思うのは、多分、女の子としてふつうのことだと思う。

その点、夕陽は、素直で、ノーマルで、普通の女の子だった、そんな気がした。

そして、夕陽自身、約束事をしっかりと守る、または守ろうとする信頼の置ける人物だったと、僕は思う。

でも、僕は、そんな夕陽があまり好きじゃなかった。

僕は、自分にとって都合よく映る夕陽は、実はあまり好きになれなかったし、興味も出てこなかった。

多分、生物としては、僕は失敗作なのだろう。普通は、自分にとって一番都合の良い人を好きになるはず、もしくはなりやすいはずなのだから。

よく、「嫁にもらうなら、あんな子だよなー」というセリフがアニメとか漫画である。

そして、それは生物的には正しい判断だと思うことも多い。

それを当たり前のように、普通のように感じられない自分は、多分、生物的に間違っているんだろう、そんなふうに思うんだ。

もちろん、これは今思いついたことだけど、昔から何となく感じていたことも含まれている。

僕は、普段、そんなこと全く気にしないから、あまり考えてないけど、こういったゲームをすると考える機会に恵まれる。

もし普段の僕が、こんな生物的に誤りであるか否かの議論を聞いたら、そんなことはどうでもいいことだろうと、そう思ってしまっただけだろう。

長くなってしまったね。そろそろ終わりにしよう。

たまたま夕陽だけ文章が多くなるのもバランスが悪いからね。

僕にとって夕陽は、「嫁にもらうなら、あんな子だよなー」というセリフが最もしっくりくる人だった。

かなで


僕は、かなでの見た目はすごく好みだった気がする。

でも、かなでの中身ははっきりと拒絶感のようなものを感じていた。

かなでは言った。「私は卑怯なんだ」と。

確かにその通りだし、その自己認識は正しいと思う。

それが悪いこととは思わないけれど、なるべく正しくあろう、誠実であろうとする夕陽とかなではタイプが少し違うような気がしたんだ。

ただ、僕は、かなでがいうそんなズルさを特になんとも思っていなかった。

でも、彼女は乙女乙女しているようで、僕には、かなでが誰よりも大人っぽく映った。

かなでは、色々なことを気にしすぎたり、それを戦略的に利用したりで、相手の反応、具体的には、主人公の反応を見て、観察する彼女がとても大人に見えたんだ。

僕は、あまり深いことは気にしないような、そんなゆあが一番自分に合うのではないかと思っている反面、いろんなことを気にしすぎ、考えすぎているかなでが、やはり、一番合わないかもしれないと、そう思ってしまったのだと思う。

美鈴


美鈴はゆあのお姉ちゃんで、僕がこの作品で最も好きなキャラクターだった気がした。でも、物語の根幹にはあまり関わってこないし、更には、攻略対象ではないキャラクターなので、割愛することにします。

美鈴さんは、面白くもあり、のんびりもしているけど、ここぞという時には、非常にまじめに真実を語るという、そういう人だった気がする。

僕は、そういうところをとても気にいったのだと思う。ちなみに、彼女の特質や立場といったものは全く考慮していないので、主に性格のみからの判断になる。

美鈴さんは、ユアのおねえちゃんであるという特質以前に、僕はその人柄や性質がとても好きだった。

ひとことで言うと、彼女は、その状況の最善手を打てる人、答えを知る人とでも言えばいいのかな、そんな雰囲気や感覚があった気がする。いや、これは彼女の立場上から知る答えではなく、一般的にどのような問題であれ、瞬時に適切な答えが出せそうな気がする、そんな性質のことだ。

例えば、彼女がなんの特殊事情もなく、普通に一般人してるとしても、彼女は最適解を全く意に介する事無く、実行しそうな、または、実行できそうな雰囲気やイメージが僕には浮かぶ。

また喩え話になって申し訳ないけど、彼女や彼女の友達が危なそうな人と関わりそうになった場面を想像しても、その場から上手く逃げおおせた彼女が、友達から「なんであんなことしたの?」と聞かれて、のらりくらりと「だってえ〜、あの人なんか危なそうだったんだもん〜」と答える彼女が想像できるような気がする。

勘が鋭いっていうのか、なんていうのか、彼女は、たとえ、一般的に見てどんなに突拍子もない正解を導いたとしても、それで周りの人たちから仰天されても、本人は全く意に介する事無く、躊躇することもなく、それをやってしまえるような、そんな感じがする。そして、後々になってなんでそんなことをしたんだと理由を聞いみると、「だって〜、こうするのが良さそうな気がしたんだもん」とか言いそうである。

僕は、普段はのらりくらりしてるけど、ものすごく勘が鋭いような人というのは、基本的に好きなんだなあと改めて、そう感じたんだ。

本作では、彼女も一定の悩みを持つ場面がいくつかあり、そのように構成されているが、僕は、彼女の本質はこんな感じではないか、だとすれば、そういう本質を持つ人は好きだなあとそういうことだったりする。

したがって、本作の構成や物語上の彼女の立場の話をしているわけではない。

その辺り、この記事を読んだ人は、物語と照らしあわせて考えた場合には、基本的に訳がわからないということは、この記事の表現に無数に含まれていると思われる。つまり、物語上の一致を見ないということ。一応、いまさらながら注意書きとして。

榎本


榎本は、本当に面白い子だったと思う。僕は、そんな彼女がとても好きだった。

でも、彼女の本質も最初から予想していたんだ。

彼女の本質は、乙女。作中では誰よりも乙女なんじゃないかなあと。

いつもはふざけているけど、誰よりも恥ずかしがり屋で乙女なのが榎本だと僕はそう思っている。

たまに彼女は、際どい話題を振ってくるのだけど、それは、彼女の乙女度や恥ずかしがり、そして、繊細さを隠すのには十分すぎるほどだった。

相手にされないことで、傷ついてないようで、誰よりも傷ついていたり、また、ほめられることで、心のなかで誰よりも嬉しがるそんな彼女は、乙女チックだった、僕にはそう映っていた。

そして、恥じらいだけが乙女ではなく、時に、とんでもない突撃も乙女要素の一つ。そんな彼女のストーリーは、プレイしていて、とても爽快だったし、面白かった。

僕は、基本的に、たくさんの表の顔とシンプルな裏の顔を持っている彼女がとても面白くて、好きだった。

もちろん、面白いとは彼女を笑い者にしている表現では全く無い。いっぱい遊んでくれて、楽しませてくれそうなので、多分、僕には合ってる、そんな気がしたから。

彼女の表の顔は、人を楽しませることが大好きなんだと思う。そんな彼女は、誰とだって仲良くやれるんじゃないかなあ。これは、特定の人としか仲良くしない夕陽や、自分と違う人種を拒絶しがちな綾瀬先輩とは違う、そういったタイプなんだと思う。

そんな人を引き付ける魅力がある榎本を、僕はとても好いていた。

奈月


奈月は、普通とは若干違ったオーラを身にまとった不思議ちゃんだった。変わった思考を持ち、突拍子もないことを言い出したりする。

そんな彼女は、本作では僕にとってまさに空気だった。

普通は、不思議ちゃんの突拍子もない行動や言動は気になるんじゃないかって言われそうだけど、他の子のほうが気になっていたので、奈月は僕にとって空気キャラだった気がする。

でも奈月らしさというのはちゃんとあって、それは普通とは違っていて、面白くもあり、面白くもなかったこと多数だった。

ひとことで言うと、奈月は、不安定なキャラだった。そのくせ自我は割と強めなので、僕はあまり好きではないタイプだった。

何するかわからないという不安定さもあるけど、それよりも、一貫した行動をしない不安定さが、本作においては彼女の特異さを際立たせていた気がする。

ほとり


この子も攻略できるのか、と最後の方でそんなことを思った彼女だったが、それも主人公一派に属さないただ一人の女の子だったからだと思う。

少年漫画に出てきそうなヒロインのような彼女は、...そのままだった。僕にはそう映った。

ほとりは、僕にはあまり面白くは映らなかった。

でも、容姿も人柄も良いし、一体どこが気に入らないのかというと、やはり、面白さに欠けるところだと考えることから、このような結論に達している。

そして、ゆあ物語、幼なじみ物語に関連していないので、物語的にも、彼女の攻略は後になってしまいがちだと思う。

彼女の本質は、王道と優しさではないだろうか。

でも、彼女の本質を読み取ったとしても、それは、誰の目にも明らかであるので、あまり面白くもないというのが僕個人の感想だった。

例えば、僕は、本を読む時、多くに、作者の本質を読もうとするだけだ。書いてあるその事自体にあまり興味がなく、かつ、それを読んで自分の考えが変わるとも思っていないので、一種の娯楽だと僕は一般的な読書についてそう考えている。

そして、見た目そのままな本は、やはり、僕にとってあまり面白くはない。なぜなら、表紙を見れば、外見を見れば、著者を見れば、僕が読もうとしていることがそのまま載っているので、著者の本質を読み取ろうとする娯楽としての読書の意味は薄れてしまうからだ。

彼女は、王道に基づいて作られた少年が好きそうな優しい女の子、それが本質のように、僕には見えた。

そして、それは、見た目まんま、初登場シーンまんまなので、僕にとっては彼女は面白く無いキャラであることが確定してしまった、そんな気がしたんだ。

作られた感や優しさや王道が嫌いなわけじゃない。

ただ、彼女の既読感が、僕が彼女を面白く無いと表現したそれであると思う。

さいごに


ゲームの方は面白かったですが、結構スキップしてました。


FF10をVitaでプレイしていて思ったこと


ここしばらく、FF10をプレイしていて改めて思ったんだけど、Vitaは何をやるにしてもめちゃくちゃ不便だった。

メモリースティック?を抜き差ししただけでもなんかエラーを吐いたり(セーブデータ消えたかと思った)、スクリーンショットを転送するだけのことが簡単にできなかったり。


FF10プレイ日記2


VITAのFF10というゲームでデア・リヒターというボスを攻略しました。後ついでに、すべてを超えしものも攻略したので、攻略方法と感想を書きます。

## すべてを超えしもの



### 感想

一度もゲームオーバーせずに攻略出来ました。特に言うことはありませんね。見た目は、デア・リヒターよりはかっこいいと思います。

### 攻略

攻略方法は、特に無し。保険として、リレイズしとくと良いかも。

## デア・リヒター



### 感想

3回ほどゲームオーバーになりました。そこそこ、いや、かなり手強かったです。しかし、時間かかりますが、一旦、パーティーの攻撃パターンを安定させれば後は同じことを繰り返すだけなので、忍耐は必要かもですが、倒せない相手ではありません。

###攻略

いかにメンバーのパターンを安定させるか、それが攻略の鍵です。どうやって安定させるかは、各々考えればよいですが、最初は、回復に努めて、相手の攻撃パターンを把握すべきでしたが、しょっぱなから攻撃を重視させてしまったため、3回ほどゲームオーバーになりました。あと、メンバーを安定させるために必要なら、アイテムは惜しみなく使うべきです。

以下、私がパーティーを安定させた方法です。

  • とりあえずメンバーのオーバードライブはMAXにして挑む。私は全員、憤怒にしたけど、対峙でも良さそうに思った。あと、調合を多用するのでリュックは必須。

  • 最初はターンを使えますが、ここではとりあえず攻撃重視で両手を攻めます。倒しても1ターン後に生き返りますが、これにより両手のターンを遅らせることができます。両手の攻撃、特に左手(こちらからは右手)の攻撃はとてつもない威力ですので、左手重視で早めに倒すことを考えます。両手同時にということは、とりあえず後回しで、相手のターンを回してまで両手同時に倒すことを考えていてはやられてしまいます。攻略サイトには、両手同時に倒すことが書かれていましたが、私はそれで3回全滅しました。そういうことはあまりこだわらないで、攻略サイトに書かれたことよりも、その場の判断や状況に応じて最善手を実行すべきと思います。

    両手同時に倒すことを、相手のターンをまわしてまで狙わないこと。できるだけ相手のターンが回ってきそうなら、片手でも倒すべき

  • 相手の攻撃ターンが回ってきますが、片手だけでも倒していれば、パーティーが1人でも死ぬ可能性は低くなります。パーティーが1人でも死んでしまえば、正直、安定させるのは難しくなってきます。ここでやられないようにステータスとアビリティを考えましょう。

  • 両手を各々1回ずつ攻撃。召喚獣メーガスでオーバードライブを食らわす。両手死すだが、すぐに復活するがターンを遅らせられる

  • リュックの調合でポーションx体力の秘薬を使ってHPを2倍にします。防御力も上がりますし、これはデスペルで打ち消されません。ただし、死ねば効果は消えますので、死なないように。調合を使った強化は死ねばなくなります。

    リュックの調合でポーションx体力の秘薬でHP2倍にしておく

  • たくすを使って、オーバードライブをリュックに託します。あとは、じんそくでラストエリクサーなどを使って回復しながら、両手を攻撃。

  • リュックのターンが来たら、オーバードライブでハイポーションxクリアスフィアで全回復。これによって予定では、HP60000~70000くらいになりますが、それ以下なら厳しいかもしれません。

  • 安定してきたら、頃合いを見計らって、リュックのオーバードライブでラストエリクサーxクリアスフィアでドライブ増加量を増やす。

  • 次も同じようにして、月のカーテンx勝負師の魂でリレイズ、リジェネする。

  • これで安定してくるので、後は、4,5回攻撃して連続魔法アルテマという手順を目安に、両手を攻撃しながら、両手がいなくなり空いたターンで本体を攻撃していく。

  • 倒すと第二形態が現れるけど、これも基本同じように両手から倒していく形になります。違うのは、使うフリースターズを使っておくことと、本体から攻撃されたらメンバーには白魔法デスペルでアーマーブレイクなどの状態を解除しておくことくらい。

  • 私の場合は、ボスターン前のティーダのターンで鉄壁を使いカウンターで本体を攻撃していました。リュックはプロテス付けてないので、攻撃されると大ダメージですし、プロテスかけても攻撃されるたびに、デスペルで解除しなければならないしで、あまりリュックには攻撃されたくなかったので。私は、そんな感じで倒しました。

    ##FF10-2

    続きのストーリー。購入しようかどうしようか、多分買うと思うけど、正直、こんな攻略がまた続くのかと思うと、現時点では、気分が乗らない。物語は気になるし、裏ボスも倒してみたくはあるんだけど、一度ハマると、ゲームばっかになって他のことが全くできないので、ちょっと間を置いてから考えたほうがいい気がしています。

FF10プレイ日記


今更ながら、VITAのFF10にハマりまくっています。FF10は、物語が面白いので、攻略に興味が無い人も、ぜひやってみると面白いかもしれません。誰でもできる簡単なゲームです。映画を見ている感じに近いかと。

ここで、ちょっとだけ攻略履歴をメモします。

初期攻略は、何も考えずに物語に没頭することになる。したがって、後々考えてみると、見落としアイテムとかも多かった。最初は、ティーダとアーロンとワッカが台頭していた時代。

中盤攻略は、前回と同様のメンバーでユウナが特に遅れをとったし、全く成長してなかった。しかし、召喚獣バハムートを手に入れてからはユウナを使うようになっていた。バハムートはインパルスで全体攻撃ができるので便利だった。

ナギ平原に到着。ここでやっとレベル上げなどを始めるが、ここから攻略要素が多くなっていった。まず、スフィア版で、キマリはリュックエリアに突入していたので、わいろを覚えさせることに成功。これがとてつもなく役に立った。キマイラブレインにわいろを使ってレベル4解除スフィアを手に入れて、キマリからアルテマを覚えさせた。そして、ユウナとルールーの魔力が高かったので、ユウナとルールーで黒魔法スフィアを使いアルテマを覚えさせた。次に、ルールーもちょうど連続魔法のあたりだったので、これを覚えさせ、ユウナにも同様の手口で取得させる。これによりユウナの連続魔法+アルテマ無双がはじまったのである。この頃には、ユウナ一人でボスや敵を圧倒。

ナギ平原のモンスターを捕獲し、次に洞穴の召喚獣ヨウジンボウがいるところのモンスターを捕獲することにした。偶然、ここでゴーストを倒した時にエンカウントなしの防具を手に入れて、これが後に非常に役立った。

ザナルカンドでユウナレスカを倒した後、再びナギ平原を訪れ、モンスター捕獲に挑むのと、最強武器でティーダ、リュックのものを手に入れた。ティーダのチョコボは少し手間取ったが、なんとか上手くいったようだ。ここで、予想していなかったことが再び起こる。政権交代である。全く成長していなかったリュックの台頭が目立つようになり、リュックはその時、たまたまスフィア版でティーダエリアに入ってたので、じんそくを取得することに成功。よくわからなかったが、キースフィアで守られていることから重要だと予想した。そして、このじんそくがレベル上げで大活躍するのだった。

その後、オメガウェポンとか言う最強のモンスターと戦うのだけどその前に、アルテマウェポンで100万ギルを使ってわいろを行うことで、ペンデュラムを入手できるらしいのでやった。このアイテムはレアアイテムのみというアビリティを付けられるし、後で重要になってくる。ここで、わいろは、基本的にHPx10の金額を渡せば、25%の確率で成功するらしい。成功確率は保有されるので、後は、1ギルを積んでいけば、25%x4=100%で4回目くらいまでに達成される仕組みだ。ただし、この場合、アイテムの数は約半分になる。HPx20で99%の成功。この場合は、そのモンスターがくれるMAXのアイテム数を貰える。これもアイテム数が99個しか保有できないことを念頭に、お好みでいいだろう。

このオメガ遺跡では、宝箱のモンスターが盗むと現れることがあるが、リュックの最強武器、ギル2倍で1匹10万ギルを稼げるので良い。

しかし、後述するけど、ギル稼ぎは基本的に、モンスターと戦うときまきあげるをデフォルトに設定し、競技場のモンスターと戦うときはぶんどる+レアアイテムのみをしておけば、困らない。ちなみに、私はメニューのコンフィグから(1)召喚獣をショートカットにする、(2)カーソルを記憶するにしているので、基本的に、◯ボタンを押せば良いようにしている。手に入るアイテムの使いみちだが、改造に使わないならx99個になった時点でどんどん売っていこう。また、改造することで高値て売れるものもあるので、アイテムによってそこら辺は考えて欲しい。

召喚獣集めのため、まだ宝箱が取れていないビサイド、エボンドームに行こうとするも、ビサイドでダーク召喚獣に遭遇。1度のゲームオーバーを経験し、次にかろうじてティーダ(最強武器装備)のオーバードライブとじんそくを使ったフェニックスの尾で勝利する。

ここで、パーティーメンバーの弱さを痛感させられ、レベル上げを行うことに。

レベル上げは、おもにダークイクシオンの召喚獣で行った。それまでにモンスター集めで武器にトリプルドライブ+ドライブをAPにをつけておくこと。オーバードライブは憤怒修行にセット。具体的な手順は、攻撃を受けてとんずらするというもの。リュックとユウナがじんそくとんずらを覚えていたので、これで死んだ仲間をフェニックスの尾で復活させて、その仲間が1ターンを終えた後、逃げるという方法。ちなみに、自分のターンが回ってこないと(交代なしで)、経験値は得られない。

ここで、リュックのレベルが自然と上がり、最強になる。予想外だった。当初、リュックは完全にメンバーから外れていた。次に、ティーダ、ユウナと続く。最初はアーロンを入れることを予定していたが、何故かアーロンは最強メンバーから外れてしまうのである。

しかし、主人公を一番強くしたいという強い思いから、ティーダの防具に、未知への翼x60,ダークマターx99などを使い、リボン+HP限界突破+オートヘイスト+オートプロテスを取得。これにより、リュックをなんとか追い越すことに成功する(相変わらず、リュックは最強メンバーの一人だが)。オートヘイストはわいろ、オートプロテスはナギ平原のHPスフィアもらえるモンスターでぶんどるを連発してゲット。あとは、モンスターを集めてたら自然に入手出来ていたような気がする。ちなみに、モンスターと対戦するときは、ぶんどるまきあげるをデフォルトにして攻撃することを覚えた。これでお金に困らなくなったのと、アイテムが増えた。いや、HP限界突破の未知への翼は、ミレニアム寺院のチョコボレースだったか。

最後に、ナギ平原で成長スフィアを貰えるモンスターと戦うことに明け暮れる。主に、種族制覇のモンスターと対戦するのだけど、苦労するのは、運スフィアがもらえる敵と、ラッキースフィアがもらえる敵。これは、アニマに活躍してもらったが、基本的には、召喚獣メーガスのラグ(ハチ)が最強で、運を上げると、クリティカルヒットが出やすいので、リトルナーレが効く。だけど、命令できないのが辛いので、お好みで。ちなみに、運スフィアで運のステータスを上げることが後になって一番重要だったことに気づく。クリティカルヒット、命中率、回避率に大影響し、すべては運を上げる事からだったなあと若干、後悔する。

これにより、ダーク召喚獣、すべてを超えしものを倒せるくらいまでには成長したぽい。

ダーク召喚獣のヨウジンボウは、何度も出現するので、武器、防具稼ぎにはもってこいだった。目標は、リボン+HP限界突破の防具である。強いけど、パラメーターを運130、攻撃255、防御255、HP32000、オートプロセスに上げてれば、大体、3回の攻撃を受けることで、単に戦うで連続攻撃しているだけで勝てる。アーマーブレイクなどの状態にされるので、その時はデスペルで解除する。

ポイントとしては、自分が偶然にも辿った攻略は以下がポイントでした。

  • 基本的に、ナギ平原までは全く攻略を意識せずに物語をすすめる。多数の見落としがあったことを後から知るが、それまでは純粋に物語を楽しめたので、むしろ良かったと思っている

  • ナギ平原以降、ステータスメニューのコンフィグから(1)召喚獣ショートカットと(2)カーソル記憶をセットできる事を知る

  • ナギ平原以降、ヨウジンボウがいる洞穴でゴーストを倒し、エンカウントなしの防具を取得する

  • キマリがリュックの領域でわいろを取得する、ここから攻略サイトを見ながら、攻略に励むことになる

  • わいろアルテマを覚え、それをユウナとルールーが黒魔法スフィアを使い取得する

  • ルールーが連続魔法を覚え、それをユウナが特殊スフィア?を使い取得する

  • 後に、ルールーのアルテマの威力が弱いことから(魔力はユウナのほうが圧倒的に高い)、ルールーは予想より早くに失脚

  • ナギ平原からユウナの連続魔法アルテマにより無双がはじまる

  • リュックがじんそくを覚えて、ティーダ、ユウナ無双が逆転する

  • リュックのじんそくを使ったダーク召喚獣イクシオンによるレベル上げがはじまる、この時、リュックはとんずらも覚えている

  • アルテマウェポンからわいろを使って、ペンデュラムをもらい、レアアイテムのみ+まきあげる+ぶんどるというお金の方式が出来上がる。それ以降、モンスターと戦うときは常にこれらを使っていた

  • モンスター捕獲、レベル上げ、アイテム集めなどを同時並行的に行い、ついでに、最強武器集め、アルベド語時点集めを行う。アルベド語辞典は、手遅れ要素らしく、攻略サイトを見ることをおすすめします。具体的には、ビーカネルの時だけ見ておけば良い

  • モンスターが各10匹ずつ全て捕獲出来たら、次に、種族制覇によって誕生したモンスターを使って成長スフィア集めを行う。ステータスは、運を最も早くに集めるべきで、最終は攻撃255,防御255,魔法防御255,運130,HP34000にすることを目標とする

  • ここで、ラッキースフィア、運スフィアを集めるのに苦労した。運スフィアの敵(水みたいな奴)は召喚獣ラグ(ハチ:リトルナーレ)が有効だった。ラッキースフィアの敵(転ぶ奴)は、召喚獣アニマでプロテス、ためる、オーバードライブとペインが有効だった

Octopressのタグクラウド


本ブログの方、タグクラウドのリンクがいつの間にか機能してなかったので、修正。
https://github.com/tokkonopapa/octopress-tagcloud/blob/master/plugins/tag_cloud.rb#L64


category_dir = config['root'] + '/' + config['category_dir'] + '/

Windowsのオートログイン


Windows10でパスワードを設定してると、起動時にパスワード入力を求められるのですが、これを自動入力する方法。

C-r:netplwiz

Windowsで最初にSSH接続するときに必要になったんだけど、相変わらずWindowsは色々と面倒なことが多い。PowerShellの環境を整えればCLIユーザーでもある程度は快適に使えるようになるんだけど、そもそも環境の設定が非常に面倒なので、やる気が起きないというのがある。

ちなみに、文字化けする場合もcmdの文字コードを変更しなければならないけど、chcp 65001で。日本語はフォントを変更することで表示できるようになりますが、Win32-OpenSSHも現時点では非常に使いづらいよ。


コピーのスピードを可視化する


以前、記事でも紹介したことがありますが、紹介というか、ついでに書いただけですが、今回は、pvコマンドの紹介です。

こんな感じで使います。


pvはpipeに流れたsizeをpreviewします

$ sudo pacman -S pv
$ dd if=/dev/sdb1 | pv | xz > ~/disk.img.xz

進捗を表示する

$ sudo dd if=/dev/sdb | pv -s blockdev --getsize64 /dev/sdb | bzip2 > ~/disk.img.bz2



特に時間が掛かりそうなコマンドを実行するときなど便利ですが、コピーするときなどで常時使用したいときは、cvというコマンドがあります。

https://github.com/Xfennec/cv


Androidが安定してきたと感じる話


現在、使用しているのは、iOS9(iPhone4s)とAndroid6(Nexus7)で最新バージョンですが、もうそろそろiOSはAndroidに追いつけなくなるなと思ったので、それについて感想でも書いてみたいと思います。

私が当初使っていた印象では、Androidが搭載されNexus7は不安定でした。iPhoneよりもよっぽど不安定で、比べるまでもなく、iPhoneのほうが使いやすかったです。そして、何よりも操作がスムーズで苛々させられることはありませんでした。

Androidはというと、稀にイラッとさせられることがあるんですよね。操作していると。「なんだこれ、なんで戻らないんだ」とか。そういったことがとても多かった。

iOSは変わらずも、少しずつの進歩を遂げており、若干、操作性が向上したり、バッテリーが少しだけもつようになったりと微妙に良くなってきています。

が、Androidの進歩から言うと、正直、小さすぎて目立たない。

Android4は、若干不安定で、スムーズさが少なかった気がしてましたが、それに比べると、Android5もすごく良かった。

ですが、Android6では、iOSを上回るんじゃないかというくらいに、反応の調整が行われており、凄くスムーズに操作できるようになりました。これは、主に、ページめくりで感じるところですが、iOSはカスタマイズできない分、AndroidはもうそろそろiOSを追い抜くなあと、なんとなくそう感じました。

また、Android6で驚いたのが、バッテリーの持ちです。rootログインしているので、kernelからの調整を行ってはいるので、バッテリーは持って当たり前なのかもしれませんが、それでも、なんかすごくバッテリーが持つようになった印象です。iPhoneよりもよほど持ちますね。性能も大きさも年数も違うので、これを比べるのはなんか違う気がしますが。

後は、変な挙動の制御ですかね。Android6でも画面回転OFFにしてるのに画面が回転したり、または、しなかったり、アプリのが切り替えられなくなったり、または固定されたりなど、時に変な挙動があり、元に戻すにも、とても変な手順を実行しなければならないなんてことはよくあります。こういうのは、なんかLinuxを触ってる時みたいな感覚に陥りますが、こういう不安定さを解消して欲しいですね。

具体的には、(1)変な挙動を排除、(2)元に戻す手順の簡易化、です。iOSも稀に変な挙動しますが、ボタン押せば大抵直りますし。

Android6は個人的な印象から言うと、結構改善されてるので、アップデートしてない人は、アップデートしてみるのもいいかもしれません。


ひとによって変わる属性



過去、現在、未来のどこから考えが及びやすいのかによって人によって傾向がある気がする。私の場合、例えば、未来の自分が今の自分を見たら、あまりに幼稚で、滑稽で、間違いだらけで、浅はかな考え方しかできない奴に見えるんだろうなあとか思うことがよくある。

迷ったときなど


実力があってすごい人なんかは人を見下さない。そういうことを言うことは少ないし、いや、全く言わないのかもしれない。

よくこんなことを言う人がいる。俺らのときと比べたら今の子達はしっかりしている。または、そのようなことを。

こういうような人は基本的に信頼できるし、能力もある。

反対に、今の時代の人間は、今の子供達はここがだめ、あそこがだめなどのようなことを言う人は基本、他人を見下し、小さすぎる自分をより大きく見せかけようとする人間なので信用できないし、能力もない。

こういう基準。そこそこ役に立つと思う。いつの時代でも。


死んだらどうなるのかの想像


もし死んだら、どう感じるんだろうってことの想像。

誰もが一度くらいはしたことがあるかもしれないし、色んなことをいう人がいますよね。

地獄や天国に行くとか、とても広い場所に行くとか、空の上に行くとか、雲の上に行くとか、星になるとか。

いろんな表現がなされています。国とか住む場所とかでも違いがあったりしますよね。

でも共通する部分もあったりして、面白いなーと思いました。おわり。


上には上がいる


あたり前のことだけど、上には上がいるという話を書いていたらしい。

過去記事を読むのはなんというか辛い。かなり。

これに関して話を何かにつなげるとなると、オリンピックやコンクールの話を少しだけ。

オリンピックやコンクールで1番になったりした場合でも、私は上には上がいると思っている事が多かった。なんとなくだけど。

だから、例えば地方や小さい企業のコンクールなどで1番になったことがあったとして、もしその人の人格が稚拙であるならば、そのことを生きている間ずっと言い続けないといけないので、呪いでもあるように感じた。

したがって、むしろ運良く1番にならなかったほうが良かったんじゃないかと思ってしまうケースさえ、旗から見ているとそう感じることがあった。

「わしはその昔、セールスで1番だったんじゃ」とそういうセリフを何度も繰り返して、それはまるで呪いのようで、きっと死ぬまでそのことを威張り散らすだろう人もいて、それは見ていてとても哀れで、そして見ているのが辛かったりすることもあった。

なんか暗い話になってしまったけど、世の中、そういう人ばかりじゃないと思うので、これはレアなケースなのかもしれない。


たくさんの本


自分の場合は、新しい本を殆ど買わないけど、いつも同じ本を何度も、いや、正確には毎日意味もなく読んでたりするので、正直、新しい本を買って読む機会というのは、なかなかないです。言い訳っぽくて嫌なんだけど、実はこれが新しい本を読めない最大の理由。でも、自分では無意味なことしてるなあとは思っているのだけど、まあ、私は、昔から、何故か同じ本を何度も読む人だったりします。

その理由はたくさんあるんだけど、一つは、一度読んでも身につかないし、覚えられないからという情けない理由からくるものです。一度読んだ本の内容は完璧に覚えていて、かつそれを実際に自由自在に使えるのなら、同じ本を何度も読む必要はないのですが、私の低い能力では何度も読まないとなかなかにこれが難しいのです。

二つ目の理由は、再発見。同じ本がいつも同じ顔をしているとは限らず、全く違った印象を持つこともしばしばあります。

このような理由から、私は、毎日、同じ本ばかり読むのですが、新しい知見や視点があまり芽生えなくて、たまには本読まないとなあなどといつも思っています(でも実践できてない)。

私の個人的な考えというのは、基本、オリジナルのものがすごく多くて、世の中、沢山の本があるので、これらは、どこかに書いてあるとは思うけど、私が読む本には書いてないことのほうが多いなあという感じです。同じ本ばかり読んでると、それを自ら広げていくしかないからなのか、自然にオリジナル、自分独自の考えが多くなってしまいました。

こういうのはなんて言うんでしたっけ。「見当違いの方向へ突っ走ってる、しかも止まる気配は全く無い」って感じかなあ。客観的に見るとそんな感じ。

こうなりたくなければ、沢山の本を読んだほうがいいです。本、読まないとなあ。...いつも言ってるけど。


自分の押しつけ


自分の価値観の押しつけって、うまくいった例がないので、無意味だと思う。


つまらないせかい


本当につまらないのは、自分の価値観で満たされた世界なんだろうなと。

例えば、私は、自分と同じ考え方をする人間ばかりの世界なんて、とてもつまらない世界だろうと、そう思っています。


あとから言うこと


たまに、「こうなることはわかってた」とあとから言われることってありませんか。

単純にそのときに言ってくれよってことなんですけど、予想が当たってたときなんてついつい言ってしまいがちな言葉なのかもしれません。

しかし、人は調子のいいもので、例えば有名人の周りなんかを観察していると、成功した途端、「俺はこうなることがわかってた」という顔をして近づいてくる人や失敗した途端、「ほらみろ、俺はわかってた」と批判したりする人が出てくるのも事実だと思います。

大体は、有名人の話を持ち出して、あの人はこう言った、ああいったって言う人は、このタイプが多い気がします。

でもそうでない人がこういうことを言う場合などは、聞いておく意味はあるかもしれませんね。


身近な人と有名な人



身近な人々への感謝と尊重


自然に人を尊敬でき、褒められる人というのがいます。ようは、他人の良い所を探すのが得意な人ですね。

もちろん、これとは全く逆で、人を蔑み、見下し、悪いところを探すのに一生懸命な人もいるわけです。

一番良いのは、自然に人をほめられ、尊重できるようになることだと思いますが、それも難しい人がいるのも事実です。

人の本質や本性、性格はどうしようもなく変えられないし、身近な人を全く尊重できない人に、人のよいところを見つけなさいなんて言うのは酷すぎます。

したがって、こういうことを言うのは良くないと思うのだけど、物質的に一番重要なのは、身近な人々への感謝と尊重ということになると思われます。

ごまをすることが唯一にして絶対の方法だと言っている人がいますが、個人的には間違いだと思いますね。継続的に続けるのは難しいと考えられますし、たとえ一時的に成功しても、いずれどこかでその人の本質、嫌々やってきたことを止めてしまうということが出てしまいそうなので、正解からは程遠いやり方だと思われます。ただ、その時どうなるかはやはり運次第だと思いますが。


性善説など



人はみんな愚か者だという考えについて。性善説や性悪説なんかがありますが、個人的にはどっちも間違いだと思いますね。世の中、色んな人がいて、しかし、自分のことしかわかりませんから。


コスパ


コスパで決めるな馬鹿という本が売れているらしいです。

これについて私は、「いや、人は感情の生き物だから、コスパで決めてるはずないだろ」と、そう突っ込みたくなったのです。

なので、真実は、全てのコスパによる理由は、その人にとって、単なる後付に過ぎないし、その可能性のほうが高いと思われます。

つまり、感情から来る結論は既に決まっていて、その根拠にコスパを持ってくるのかなと。したがって、純粋にコスパのみから導き出されるケースは稀だと思われます。

こういう感じの本、とても多いし、ウケも良さそうなんだけど、ある程度、相手の感情というものを読む、相手が欲しているものを聞いてみる努力をしないと、どうも表面的なやり取りになってしまって、意味が無いように感じます。

人は表面的なやり取りの方を好むので、本を売ろうとしたら、表面的なことしか書かず、本質的なことを書いてしまっては逆に売れないと思いますので、売ろうと思った場合は、ソッチのほうが正解なんだけど、それってなんか良くないなあと思ってしまう。個人的には。

これについては、よくわからない、そんなはずないって思われる方もいるかもしれませんので、少しだけ、個人的な考えの一部を説明します。


人は感情の生き物です。そして、感情の人は、真実を最も恐れるのです。なので、真実が書かれた本というのは大抵、売れなさそうな気がします。


信じる力



信じる力


なんか偉い人が信じればなんでもできるって話をしているらしく、私の考えとは全く違ったので、それについて個人的な考えを書きます。

話によると、山よ動けと命じて、それを心から信じてたら、山が動くらしい。なぜ動かないのかというと、信じることができないからだそうな。

まず、あらゆる物理法則を知らない年端のない子供、そういうのを心から信じることができる子供にやってもらったほうがいいですね。実験として。いや、別に実験でなくてもいいですが、そうなると、街中で山が動きまわりそうだなあと思います。

では、なぜ山は動かないのか。

私の考え方からすると、それは、「他の存在」であるから。

信じる力は確かに強大です。しかし、信じれば、本当に信じれば、一瞬のうちに宇宙を消滅させることも自由に作り変えることも自由自在であるとは私は考えません。

信じる力は、自分という存在の中でのみ有効なものです。

仮に、もしそれが外、例えば、半径1メートル以内(大げさに書きすぎですが、本来的には1センチもない)の世界を自在に動かせたらすごいほうだと思います。

存在の外には必ず、存在があり、存在は互いにせめぎあっています。信じることでこの領域を想いのままに拡張することなどできないというのが私の考えです。

つまり、信じることで、自分は変えられるが、他人、または他の存在を書き換えることはできないということです。

もし自分の影響で他人を操っているように見えるのなら、その場合、あくまで本人が自ら動いていているだけです。

ここで、山に動けと命じ、もし山が動いたのなら、それは、山が自ら動いたにすぎず、自分が信じて動かしたのでは全くありません。

山も存在の一つです。そして、存在の一つ一つは、自分が信じたからといって、意のままに支配し、コントロールすることはできません。

確かに、多くの人に影響を及ぼし、あたかも支配しているように見える人がいます。しかし、この場合、単に、それぞれが持つ信じる力に影響を与えただけであり、それはきっかけにすぎず、本当のところは、各々が自ら変わっていく、動いていく現象に過ぎません。


不正を暴く側は単なる一つの支配


昨日、VW(フォルクスワーゲン)の話をしましたが、では、不正を暴く側が正義であるかどうかというと、これも誰が利益をえるのかを考えればわかりやすい話だと思います。

今回、不正を暴いた側は、アメリカの運輸省だったか、そんな感じのアメリカ政府だったわけですが、前にもこれと似たようなことが、似たようなタイミングでありました。

それは、日本ではトヨタ叩きと言われるトヨタ車の自動発進問題です。ブレーキが効かなくなるんでしたっけ。とにかく、トヨタが多額の賠償金を支払わされたというあれです。

この件では、GMというアメリカの自動車会社とトヨタの対応の違いが騒がれていた印象があります。GMでも似たような問題はあったみたいですが、額(賠償金)がぜんぜん違ったようでした。

こういったことを考えると、規制を作る側、不正を暴く側が一般市民から見た正義や公正の感覚に即しているとは到底考えられず、通常はありえません。

その内実を見ると、「なんか変だなあ」と感じるひとが多いでしょう。

しかし、この問題も非常に単純で、要は、慈善事業で不正を暴くなんて一体誰が進んでやるんだってことです。それが自分たちの利益になるからやるに決まってるだろということが基本的な価値観です。いや、私ではなく、通常、人の価値観や考え方というのはこういうものです。

信じられませんか。

でも、たとえ政府であっても、基本的には、自分たちの不正は必死で隠そうとしますよね。この場合は、多くに、「ルール上はどうとでもなるが、国民に知られると、印象がどうもよくないから、というのがわかりやすい気がします。

なので、昨日は「VWは不正を行った会社なので、悪者だ」という感じの記事を書きましたが、今回は、実はそうでもない...かもしれないという話にしてみました。では。


教えの一つの側面



教えの一つの側面


皆さんはこの問題、どう捉えられているか知りませんが、私の場合、世の中、ズルした人が勝ちやすいんだから、当たり前の問題であり、特別視するほどの大問題なのかなあとそう考えています。

これがよくわからないという方は、下のニュースなどがわかりやすいかもしれません。

「兜町の風雲児」、株価操作で60億円売却益 監視委、大物仕手筋元代表を告発へ

彼は、70代男性ですが、ずっと前からこういうことをやってて、現在は70歳ということらしいです。しかも、彼は多分、不起訴かまたは無罪になる可能性が高いと思われます。なぜなら、時効の問題とこういったことの立証はすごく難しいと思われるからです。

彼らは、東芝のトップだった人たちも含めて、こういうことが明るみに出る前は、世間的に見ると成功者でした。まあ、明るみになった現在も成功者に変わりないわけですが、本当のことが明るみに出るまでは、事情を知らない人たちからもさぞ褒められたことでしょう。

では、彼らだけが特別おかしなことをやって、現在非難されているのかというと、私はそうは思えません。彼らももしかしたら、「みんなやってるから、自分もやった」というに過ぎないのではないでしょうか。

とすると、成功する人たちというのは、一般的には、上手くバレないようにズルをする人が最も多くの割合を占めているのかもしれません。

今回、このよう話をするのは、一般の人は、この程度のことくらいは認識しておいたほうが良いことだと考えるからです。

何故かと言うと、上手く行かなかった時、成功しなかった時に、「私は誠実で、嘘もつかず、誰よりも真面目だったのに!!」と怒ってしまう人が出てくるからです。

上記の理論から言うと、誠実であり、嘘をつかず、真面目であることは、成功に必要なことではありません。

もちろん、そういうことで成功を収めた人もいるでしょう。しかし、不正を働いていた人たちも、大抵は、インタビューではそういうのが大切だと、そりゃ言いますよ。なので、私たちには通常、見分けがつきません。

では、「誠実であれ、嘘をつくな、真面目であれ」などの価値観って一体何なのでしょう。

これは、基本的には、誠実で真面目な人間ほど支配しやすいものはないからという側面があると考えられます。反対に、こういったルールを作る彼らの多くは、それを守らないことが多いです。例えば、自分たちだけは例外だと言うわけです。憲法にも国会議員の免責特権が保証されています。それは、各々お法律によって明文化されています。したがって、犯罪を犯しても逮捕されませんし、できません。気になる方は条文のほうを確認してください。ここでの記述は相当簡略化しています。

このような誠実であれ、嘘をつくな、真面目であれなどの一つの価値観は、絶対ではなく、誰にとって都合が良いのかという話にすぎないことが往々にしてあります。

つまり、多くの人はなんとなく、誠実でなければならない、嘘をついてはならない、真面目でなくてはならないと考えていますが、それが正しいことというよりは、一つの価値観だということです。そして、このような価値観が一体どこから来ているのか、そういうのを考えてみるのも面白いかなと思います。

では、なぜ、誠実で、嘘をつかず、真面目でなければならないと言ってる人たちが、不正行為なんてするんでしょう。

その理由は、そのほうが得であり、利益を得られるからにすぎません。不正が発覚した企業なんかも、そもそも、バレると思ったらやってないし、こういうことがバレる確率は低いだろうとそう考えていた事がわかります。そして、それは一部の真実でもあると言えるでしょう。

もちろん、私は、誠実であること、嘘をつかないこと、真面目であること、もしくはそうあろうとしている人は高く評価しますし、自分もなるべくそうありたいとは思っていますが、しかし、そうでなくても、それは自然なことなのだと思います。

私が今回、なぜこんな話をしたのかというと、先程も述べたように、成功や幸せと誠実で真面目であることは必ずしも繋がらないということを認識して欲しいのだと思います。

むしろ、あまり得なことはないですし、単に得をしたい、利益を得たいだけなら、むしろこの考えとは違う道を行くべきです。

具体的には、人を騙し、ズルをし、不正を行い、それがバレないように上手くやれば、あなたが成功する確率は圧倒的に高まると思われます。

ここで、不正を行った人間なんかいずれツケが回ってきて、ひどい目にあうなどという考えもできればやめたほうが良いと私は思います。

そうならない可能性のほうがじつは高いからです。もちろん、運悪く不正が発覚したりする場合もありますが、そのような時の犯人の言い訳を聞けば、多くの人は真実を察するには十分だと思われます。「みんなやってるのに、なんで俺だけ...」、多分、犯罪者(自分ではそう思ってないだろうけど)の心情の多くはこれでしょう。

そして、不条理なことに、不正を行い、多くの人々を苦しめたにも関わらず、幸せで平穏なうちに息を引き取った人間も多い。

また、「いや、カルマがあるから大丈夫」、これもできればやめといたほうが良い考え方だと思います。このように考える人は、いったい何がしたいのでしょうか。彼らを罰したいんでしょうか。それとも現在の状況に満足していないからでしょうか。後世や来生なんてものが人間にコントロールできるはずがないです。想像するに、そこは人間の価値観が通用しない領域でしょう。

「良いことをすれば、きっと来生で良い思いができますよ」なんて言われますが、しかし、良いことってなんでしょう。人によって良いことでしょうか。

例えば、人間が80年生きるとして、その間に、どれだけの生物を犠牲にするかというと、その圧倒的な数は計り知れません。あなたがもし80年生きたとして、その下には、山のような、それこそとてつもない量の屍が築きあげられているはずです。それを見た人たちは、普通はこう感じるはずです。「割にあわない」と。

自分のようなちっぽけな人間一人に、これほどのものが犠牲になっているなんて、「割にあわない」と。

そうですね。条理に合う、合わないという話があります。この場合、人間が作ったルールに基づいて、帳尻が合う合わないの話をしていることが大半です。しかし、自然のルールに基づくと、生物は、基本的に条理に合わない存在です。エネルギー効率から言っても、供給量と消費量では、それをゼロにすることはできず、基本的には、消費量のほうが上回ります。つまり、人間が言う条理に合わないことが、自然界のデフォルトです。

「こんな人生、不条理だ、理不尽だ、神様は不公平だ」なんていう人がいますが、私には理解できかねます。確かに、人間が目指した公平で平等なルールの上では、それは不公平であり、不条理かもしれません。しかし、自然界では、それはデフォルトです。あたりまえのことであり、そんなことを問題にすること自体、意味がわからない。

難しい話になってしまいましたが、言いたいことは単純です。「人間が作った価値観やルールのうえで良いことをしても、それで来生が良くなる可能性は限りなくゼロに近い」ということです。

ここで、その人の人間性が明らかになる場面でもあります。

それは、全く得なことや利益は何もないが、それでも良いことをしようとするか否かです。

私はどちらも否定しません。どっちでもいいと思っているからです。また、どちらが上というわけでもありません。

しかし、あえて言うなら、それでも進んで良いことをしようとする人たちは、人間が目指した公正、公平な社会の上では評価されるでしょう。反対に、ズルをしたり、不正をしたりしてやっていきたいという人は、自然界のルールの上では評価される行いです。

これについて納得出来ない人は、こう考えると良いかもしれません。例えば、「ずる賢く、狡猾な動物」と「優しく、正直な動物」どちらがより生き残る可能性が高いかどうか。通常は、前者であるずる賢くて狡猾な動物のほうが生き残る可能性が高いとそう答えるでしょう。このような判断は、みなさんが自然状態とはどういうものかを認識したうえでそう判断していることになるかと思います。

人はその本質に逆らえません。なので、無理矢理に良いことをさせようとしても、または悪いことをさせようとしても、上手く行きません。

こういうことを認識したうえで、自分がどうありたいのか、よく考えると良いと思います。もちろん、深く考えなくても直感でも構いません。多くの人は、やはり直感的、感覚的に自らの本能に従って生きているだけです。上で挙げた不正をしてる人たちなんかもそうであるに過ぎません。そして、それは自然的には正しいことであり、ズルしたほうが勝ちやすいんだから、ズルをするに決まっているだろということになります。

日本の株式市場なんかも、ニュースなんか見てると、私の判断からすれば、8,9割はチート(ゲームで言う不正改造ツールのこと)を連射してる人が勝つんじゃないかなという気がします。もちろん、1,2割は真っ向勝負で本当にやっていると思われますが、もしあなたが、こういったところで戦いたいのなら、そして、チートを使わずに戦いたいのなら、チートを連発するような人たちと勝負することになるということは頭に入れておいても損はないかと思われます。

よくわからない。そんはなずない?例えばですが、最もチートを連発しているところは、日本政府とか、中国政府ということになりますので、すごくわかりやすい話だと思います。現在、日本政府は円安誘導のために様々な数兆円を遥かに超える規模の介入を連続して行っていますが、円安になれば、当然、株価が上がったように見えるので、都合が良いのだと考えられます。誰に都合が良いのかというと、資産の大半を株式で持っている政治家とかに都合が良いわけです。だれも慈善事業でこんなことをしようという人はいないわけで、殆どの場合、税金を使っていかに儲けるかという話なので、割と簡単な話なのです。もちろん、円安になれば、今まで5万円で買えたものが10万円出さないと買えなくなるような事態になってきます。これから先、いや、換算すると、既にこれに近い状態なのかもしれません。これは、資産を円で保有する人たちの資産価値を下げることであり、株式などを保有していない一般国民の利益を損なう行為ですが、税金を使ってチートを連射して、それで自分達や自分たちの支援者(お金持ち)が儲かるんだから、そんなことを誰も気にしたりしません。ここで言いたいのは、上手く行かなかったら、上手く行かなかったで、別に自分へのダメージは一切なくチートを連射してる人たちもいるということです。中国政府なんてもっとすごいことをやってますよね。例えば、株を売るものは逮捕するとか。彼らのトップも資産は株で保有しているので、値下がりすると困るんだろうとそう思いますね。

と、少し難しい話になってしまいましたが、チートを連発すれば、それで疲弊し、いずれ使えなくなるのではないかと考えるのは、少し違うということです。どれだけチートを連射しても自分へのダメージは一切なく、それで儲ける人たちも少なからず存在する可能性があります。そして、「ズルをすれば、いつかは身を滅ぼす...」なんてことも殆どの場合やってこないでしょう。

しかし、だからなんだというのです。トップはズルをするなと教えるが、自らズルしてることなんて、よくあることで、それは当たり前のように行われている一つの現象に過ぎません。誠実さ、真面目さが大切だと他人に教えるのは、単に、真面目で正直な人間ほど支配しやすいからに過ぎません。

ただし、これらを事実として認識することは重要ですが、これらに対して怒り、絶望することはあまり重要ではありません。そんなことをしてもあまり意味が無い。そして、あなたはどちらにつくか自分で選べるのだから、自分と違う立場だからといって怒るのはなんか違うでしょう。

私は他人のそういった選択に関して、特に言うことはありませんね。

そうそう、いい忘れていましたが、NO GAME, NO LIFE(ノーゲーム・ノーライフ)というアニメが過去にありましたが、このアニメはこういった部分の真実描写がすごくうまかった気がしますね。

私の場合も、チートなんて使いたいだけ使えばいい、私は使わないし、使えないけどねというのが個人的な考え。


Dominoで作曲


BGMをイチから作り始めたのだけど、初音ミクを買った時についてきたStudio Oneというアプリが定評のある最悪なアプリだったので、フリーのDominoというアプリで作り始めたのだけど、一応、完成してみると、書き出しがよくわからない。Dominoのオリジナル形式とmidiでしか書き出せず、これをどうしろと...。なんで一般的な拡張子で書き出せないのかわからない。作曲系アプリはこういうのが非常に多い気がする。

.midから.wavの変換は難しいみたいで、録音することになるんだろうけど、こちらも初めてなので、相当疲れます。

ステップ1:リズム(ドラム)を決める


Macのsudo


Macには、メモリを開放するコマンドが用意されています。/usr/sbin/purge

これは、オーナーがrootでグループがadminだった感じで、userは、実行権限を持ちません。なので、手軽に使用するにはsudoの設定を変更する必要があります。


%admin ALL=(ALL) NOPASSWD: /usr/sbin/purge
%wheel ALL=(ALL) NOPASSWD: /usr/sbin/purge


ArchLinuxのtimedatectl


Arch Linuxで時刻を合わせるのは簡単なのだけど、Arch Wiki見てもわかりにくかったので、メモ。


ネットから時刻合わせする

$ systemctl start systemd-timesyncd

起動時に同期する(一度合わせたあとは、基本的に不要)

$ systemctl enable systemd-timesyncd



その他の解説。xxが国際時間で00が日本時間とします。


$ timedatectl status
Locale Time xx:xx:xx
Universal Time xx:xx:xx
RTC Time xx:xx:xx

$ timedatectl set-timezone Asia/Tokyo
Locale Time xx:xx:xx
Universal Time 00:00:00
RTC Time xx:xx:xx

$ timedatectl set-local-rtc false
Locale Time xx:xx:xx
Universal Time 00:00:00
RTC Time 00:00:00

$ systemctl start systemd-timesyncd
Locale Time 00:00:00
Universal Time xx:xx:xx
RTC Time 00:00:00


こんな感じだと思うけど、よく見かける手順では、他のTimeは日本時間に適合するのだけど、Locale TimeがUniversal Timeになるので、それを修正するには、systemd-timesyncdでネットから時刻合わせするのが有効。


MplayerSpeed2


mplayerでは、-speed 2以上を指定すると、どうも描写がおかしくなる。この現象には前から気づいていて、最近は、2.5で再生するので、CVLCを使っていたのだけど、CLVCは重すぎて最近使うのが嫌になってきている。


$ mplayer -fixed-vo -speed 3 -af scaletempo,volnorm -playlist mylist


かと言って、mplayerもシンプルなんだけど、ウィンドウを固定するのもなかなか面倒で、-fixed-voを使っても思うようにいかなかったりするので、機能面では、やはり、CVLCという感じ。

追記


今ではcvlcでもmplayerでも普段は3倍速で視聴したり、聴いたりするようになりました。

倍速再生は1.5倍速から始めた私ですが、年々数字が増えていった気がします。

ちなみに、私が倍速再生する理由はあまり明確ではありません。

ただ何となく1.5倍速で聴いているうちにそれが普通になり、とその繰り返しです。

数字を上げる時もただ何となくですね。最初はちょっと聞き取りづらいかなあと言う感じですが、次第にそれが普通になっていきます。

なので、特に効率を重視しているわけではないですね。それは全く違います。

私の場合、お気に入りの作品でも通常速度で視聴することはありませんので、普段の行いとして、倍速がデフォルトという感じです。

ただ、現実問題としてアニメ消化はやりやすくなるので、その点では便利かもしれません。


iOS9


この前、iPhoneにiOS9が来た。

iOS7あたりは入れるのを躊躇してた気がするが、iOS9にもなると、即座に、単なる気分かも知れないが、即座にアップデートした。

追記


現在はiOS10が出ています。iPhone4sには対応していないようです。

iPhone5sに入れたのですが、ちょっと遅くなったように感じました。


MT4のEAバックテスト3


なんか、mt4でeaを作るのすごく面白くなってきたので、少しずつ改良しています。

仮想サーバーで稼働し、デモ取引をやり始めたけど、注文が発注された時は、割りと感動モノだった。本当に自動で取引するんだなーと。

MetaQuotes-DemoとFXDDでは全くと言っていいほどバックテストの結果が違うし、それは、他のサーバーが提供するチャートデータでも同じ。なので、より正確な検証をするには、取引する口座のチャートデータを使うのが良いです。でも、殆どがFXDDに似たデータを提供しているようなので、FXDDでも良いかなと思います。デフォルトのMetaQuotesは絶対によくありません。ほとんどが実取引とはかけ離れたデータを提供します。

例えば、MetaQuotesとFXDDで同じ条件のもと、テストしてみました。

MetaQuotes




Sell, GBP/JPY, 2015.01.01 -> 2015.09.20, JPY : 200000 -> 1700000, Down : 50%

Buy, GBP/JPY, 2015.01.01 -> 2015.09.20, JPY : 200000 -> 1400000, Down : 30%

FXDD




Sell, GBP/JPY, 2015.01.01 -> 2015.09.20, JPY : 200000 -> 12000000, Down : 50%

Buy, GBP/JPY, 2015.01.01 -> 2015.09.20, JPY : 200000 -> 2000000, Down : 30%

Download

スクリプトでM1を他の時間足に変換します。

period converter ALL

でも開発はテストに時間かかるしあれだなあ。Linuxを使うことで、複数のテストを同時に回してるけど、それでも遅いし。あと、CLIで開発できないのが辛い...。


mt4-ea-origin-test-2


少しバックテストの結果がわかりにくかったので、日本円で計算してみたのと、複利システムを用いてやってみた結果を表示します。それと少しばかり私の言いたいことを載せます。sellだけですが。

gbp/jpy, m5, forex, 2015.01.01-2015.09.20




double blots;
double clots;
blots = AccountBalance() / 200000;
clots = blots 10 + 0.5;
Lots = clots
0.1 ;


バックテストの結果としては、9-10ヶ月で20万が800万になったという感じになっています。

では、本当にこんな風になるんだろうか。私はならない確率のほうが圧倒的に高いと見ています。

例えば、テスト結果の相対的ドローダウンの値を見てください。

この値は、私的解釈が多少入りますが、私はは、「こうならなかった確率」のことだと考えています。

そして、テストでは相対的ドローダウンは50%程度ありますね。

つまり、実取引では、このような結果にならない確率が50%あるということです(多少、論理が飛躍していますが、感覚的にはこんな感じ)。

また、現実問題としてはあらゆる不確定要素が多く存在します。その点で、未来を予測することは限りなく不可能に近いということです。

私自身、このプログラムには、その不確定要素を確定し、排除し、対応する処理を書いていませんし、全く書ききれていません。

そして、もう一つだけ面白い話があります。

それは、システムトレードをしている人達が書いているブログです。

彼らに共通して言えることは、「はじめはバックテストの結果に驚嘆し、これなら行けると自動売買を始めたが、利益は全く出ないばかりか、損ばかりだった」と書いているということです。例外は今のところ見たことないですね。

で、システムトレードで利益を出し始めた時のことも書いていて、「常にシステムをアップデートし続け、複数のシステムで運用し、ダメなものは入れ替え、またはイチから作り直していると、やっと利益が出るようになってきた」と言っています。

つまり、システムトレードで継続的な利益を出そうと思ったら、複数のシステムを時に改良し、時に入れ替えながらやっていかなければ難しいんじゃないかってことです。

これは、簡単なことのように見えて、実は大変なことだと思います。

そうですね。私の場合も、この先人達の言ってることを信じるなら、初心者が思いつきで作ったとてもシンプルなシステムが、実取引でバックテストのように利益をもたらすとは考えにくい、というか、その確率は極めて低いと考えているのです。

やはり、システムトレードで利益を出すには、「常にシステムをアップデートし続け、複数のシステムで運用し、ダメなものは入れ替え、またはイチから作り直す」という絶えまない努力が必要だと考えられ、もしその過程を経ずにたまたま利益が出たならば、それは運が良かったに過ぎず、1年以内、もしくは数年以内にダメになる確率が高いと思います。

これについては、私は、諦めたわけでも、希望を持ってないわけでも、絶望しているわけでもないのですが、まあ、書き方があまりに投げやりだったかもしれないなあと。もちろん、偶然にも上手くいくかもしれないけど、確率的には低いだろうと見ているということです。

ただ、私はシステムトレードをされている方々のブログを読んでみて、システムトレードで利益を継続的に出し続けるというのは難しいことなんだなーと思いましたね。

反対に、私のような初心者がいきなり利益を出し続ける確率は、とても低いだろうと予測しました。

なので、試してみてもいいけど、上手くいく確率はあまり高くないので、面白そうな試みではありそうだけど、あまり乗り気はしないなー、と思ってます。

仮に上手く言ったとしても、1年以内に作り直さないと、停止せざるを得ないでしょうね。つまり、偶然に上手くいっても、このシステムでの運用は1年が限度ということで考えてます。これは、どれほど優秀なシステムであろうと、いずれ使えなくなるってことを意味します。まあ、使える場面、使えなくなる場面の両方、くり返し訪れると思いますが...。

そんな感じで。では。

MT4でEAを作りバックテストしてみた


mt4,mt5という有名なチャートアプリがあるのだけど、そこでeaという自動売買プログラムを稼働させられるので、mql4,mql5などの言語を使って適当に書いてみました。

MetaTrader4

MetaTrader5

で、その際、バックテストを少し調整しながら作ったのだけど、私は、システムトレードで利益をあげられるかというと、いくらバックテストの結果が良好でも、最高でも難しいんじゃないかと思いました。(あと、この分野、本当にまともなサイトや情報が少ない印象...)

バックテスト後、いくつか手動でエントリー、イグジットポイントを確認してみたところ、バックテストの結果が全く当てにならないと思いました。

また、ヒストリーデータがそれぞれ使用する口座によって異なること、実際に計算される値や描写がチャートとずれること、実取引においての不確定要素の多数(スプレッドや約定拒否、スリッページなど)が挙げられます。

個人的な話になるのだけど、MacBookProを買おうか、Amazonで20万円分のギフトを買おうかどうしようか最近、迷ってたけど、自分が作ったEAがどれくらいでダメになるか見てみるのも面白いかもしれないなあと思いました。

ちなみに、私のプログラムでは、ストップと言って100pipsの損失が出ると、自動的にプログラムが停止するようにしていますので、いつまで稼働してられるかということですね。あと、利益は、多分ほとんど出ないんじゃないかなあ。どれくらい損失が出るか否かの問題で...。

まあ、時間があればということですが(多分やらない...)。

##test-ea-01,sell

gbp/jpy,m5,forex,2015.01.01-2015.09.18





##test-ea-02,buy

gbp/jpy,m5,forex,2015.01.01-2015.09.18







どちらのEAも結構頻繁に損切りするようになってます。

特徴としては、パラメーターをいじることはほとんどしてなくて、主にエントリー、イグジットポイントを調整してるって感じです。あと、Buy(買)とSell(売)で分けています。まとめてもいいんですが、分けたほうが検証しやすそうだと思ったので。

##code

コードはCに似た感じで書ける。Cが書ける人はとっつきやすいと思われます。


//Custom Indicator
double HOGE
HOGE = iCustom(NULL, PERIOD_M5, 'hoge' ,fastperiod, 0.3, 0.3,0);

//Default Indicator
iWPR(NULL, 0, 14, 0);

//トレード回数制限, その日、1回に制限
static int TradeCnt = 0;
if(TimeHour(CurTime())==00 && TimeMinute(CurTime())==00) TradeCnt = 0;
if (OrdersTotal()==0 && TradeCnt < 1 )

//イグジット
int Exit_L = 0;
if (OrdersTotal()==1)
買いポジションのイグジット
Exit_L = OrderClose(Ticket_L,Lots,Bid,Slippage,Red);

//エントリー
int Ticket_L = 0;
if (OrdersTotal()==0)
//買いのエントリー
Ticket_L = OrderSend(Symbol(),OP_BUY,Lots,Ask,Slippage,Ask - (StopLoss * Point),0,Comments,MAGIC,0,Blue);

//特定の時間を条件にする, 23時14分は条件から外す
if( TimeHour(TimeCurrent()) != 23
&& TimeHour(TimeCurrent()) != 14 )

//アラートを鳴らす
extern string SoundAlert = 'true';
if (SoundAlert == 'true')
PlaySound('alert.wav');


括弧は付けていません。このブログ、jsonで書いてるので書きにくい...。また、シングルクオートはダブルで。

アニメの総評2015Q2


今期アニメの総評です。夏アニメは非常に楽しませてもらったのです。

城下町のダンデライオン


  • 合計 : 90/100

    普通に面白かったですね。全体的に非常に良く出来ている感じで、安定感がありました。話もそうですし、ラストもやっぱりしっかりとしていましたし。原作はまだ終わってないのですが、アニメではしっかりと終わらせており、好感度が持てます。中途半端はなんかあれなので。

    あかねが主人公なので、選挙も勝つだろうと思っていたのですが、予想外でした。

    あと、初回での兄へ告白した子がいたり、その子の恋愛模様も今までのアニメにない急展開で面白かったと思います。

    GATE


  • 合計 : 95/100

    こちらも普通に面白かったです。自衛隊という政治色が強そうな内容ですが、私は別にこういうアニメはあっても良いなと思いますね。自衛隊が良いか悪いかは別にして、実際に、日本を守るという使命の中、働いている人もいるわけで、やはり、そういった人々も尊重しなければならない。私は基本的に軍隊というものがあまり好きではないですが、自衛隊であれ、国民であれ、全ての人は個人として尊重されるべきですし、それが憲法の理念でもあります。

    ただ、憲法は、同時に、武力による威嚇や武力の行使及び、その所持を禁じており、その点で、自衛隊はある意味で微妙な立ち位置に在ります。

    みなさまは軍事の国際標準的な考えをご存知でしょうか。

    軍隊というものは、国家の上位目標、つまり、政治家やお金持ちを保護するためのものであり、軍隊は本来的に国民を守るためのものではありません。国民を守るのは、警察権の役割であって、自衛隊の役割ではないのです。

    したがって、国会意思、つまり命令さえあれば、当然、国民を犠牲にし、または物騒ですが、殺すこともあるわけで、その点では危険な存在と言えるでしょう。

    そんなバカなと思われる方がいるかもしれませんが、旧日本軍がやってきたことや映画とかで表現がされてるものを見れば、わかると思います。

    例えば、国家秘密を偶然にも知ってしまった国民は映画ではどうなるんでしょうね。...残念ながら殺されますよね。秘密保持のためには、たった一人の国民の命なんて軽いものです。自分の身が危うくなった上の人の考えによればですが...。例えば、旧日本軍は追いつめられた時、どんな命令で動きましたかね。その過程で、「国民を守れ」なんて命令で動いてましたか。私は大いに疑問があります。

    個々の自衛官がどう思っているかどうかはあまり関係がなく、自衛官は基本的に上の命令には逆らえません。

    自衛隊の個々人が良い人か悪い人かは関係がない。上の命令がどうあるかのみが重要なので、この点で、私は現在の政治家が果たして適切な命令を下せるかどうかには相当に疑問がありますね。多分、自分の身を守るために、とんでもない命令を下しそうで、もしくは既に下してそうでならないのですが...。

    まあ、それはいいとして、アニメは普通に面白かったですね。

    のんのんびより りぴーと


  • 合計 100/100

    毎回すごく楽しみにしていたのがこのアニメでした。原作は読んでるんですけど、アニメはやはり癒やされますね。オリジナルも面白かったし。

    個人的には、このアニメ、テーマというテーマは全く無いんですが、そこがまた何も気にせずに見れてよかったと思います。作ってる人にはあるんだろうけど...。

    1年の季節を通して、色々な背景が楽しめますし、更には、遊びや行事、日常的な何かから色々なことを気づかせようとしてくれるアニメって感じでした。

    ガッチャマン インサイト


  • 合計 90/100

    ちょっと内容的に重かったので、少し見るのに気が重くなったりもしましたが、やはり面白く視聴できたかなと思います。

    色々と予想を立てていたアニメで、これからどうなるんだろっていうワクワク感がありました。そのため、内容的に気が重たくてもなんとか最後まで視聴することができた感じかなと思ってます。

    このアニメのテーマは、ひとことで言うと「空気」でしたね。

    インサイト、目に見えない空気のようなもの。

    このアニメの主張しては、「空気って怖いよね、目に見えないもんね」って感じだった気がします。

    これについては、確かにねーとは思います。

    1期では、クラウズという空気によって世界を良い方向へ変えていく、そんな物語だったような気がしなくもないですが、2期では、簡単に空気に流されるなーって話だったので、1期よりも、よりバランスをとった形になってる気がしました。

    テーマ的にはすごく良かったし、アニメの主張も分かりやすかったので良さがあります。

    Charlotte


  • 合計 : 70/100

    12話としては、色々と大きな話がつめ込まれており、要点が散見しているように感じたし、なんとなく、自分には合わなかったような気がしました。でも絵は綺麗だし、まあ、良いのではって感じ。この作品は、そういえば最後まで見てないなあ。11話くらいで見るのに気が重たくなってきて、なんか知らないけど、見てない。

2015Q4アニメ



2015Q4アニメ


2015年の秋アニメなのだけど、見たいのがないので、見ないことにしました。

2013,2014頃からアニメを見始めて初めてじゃないかな。

追記


欧米の会計年度(1月が年度始め)に従って、そのまま「1-3月,4-6月,7-9月,10-12月」に対応していることが多い

とのことだったので、秋アニメはQ3ではなくQ4になるのか。過去記事が間違えていたようです。

結局、いくつか見た気がするけど、あまり面白くなかった感じだったかもしれない(実際あまり覚えてないけど)。

以下、曖昧な記憶を元に個人的なヒットを書き出してみる。

2015Q4 : 不作

2016Q1 : ヒット(灰と幻想のグリムガル)

2016Q2 : 大ヒット(ふらいんぐうぃっち)

2016Q3 : 不作

2016Q4 : これからはじまりますよ


睡眠時間


睡眠時間の話で、ロングスリーパーとショートスリーパーがあるらしい。

で、私はロングだと思う。まあ、年齢によって変わってくるらしいけど。




ロングスリーパーの人は一般的にストレスを感じやすい神経質なタイプだと言われています。人付き合いはあまり得意ではなく、一人でいることが多くなります。

世の中の常識などにはあまり興味がなく自分の世界を大切にしています。日本人の人口の3~9%の人たちがこのロングスリーパーに当てはまると言われています。



https://nanapi.com/ja/110393


ツボを押し始めた


最近、ツボを押し始めました。ツボというのは、体中いたるところにある要点みたいなもので、色々と場所によって効果が違うようです。

ツボを押し始めたきっかけは、肩こりや頭痛なんだけど、私の場合、時々、起こります。

寝転びながら本を読んだり、ゲームをしたりしてると、これが発生してしまう姿勢があるのだけど、たまにやってしまって、頭痛になってしまう。

やっちまったなーと思ったときには既に時遅し。完治に半日か1日くらいかかるので、辛い。


サイトの表示速度を改善した時の話


Google PageSpeed | syui.github.io/middleman


  • 速度 : 85/100

  • ユーザーエクスペリエンス : 100/100

  • 提案の概要 : 93/100

    こんな感じだった。

    基本的には圧縮(min)されたファイルをダウンロードし、コードの一部を修正し、非同期(async)すればいい感じなのだけど、GitHub Pagesを使ってるのでサーバーサイドで解決するネットワーク関連の項目が実現不可能だった。

連続更新

連続更新がちょっとだけ続いているみたいです。

たまにチラと確認して、修正を入れたりしています。

Markdownで書いたものが上手くHTMLに変換されてなかったり、内容的にあれだったりするからです。

今後はどうなる分かりませんが、ちょくちょく見に来る予定です。

よろしくお願いします。

アニメで好きなセリフ


アニメで好きなセリフって、今思えば、あまり覚えてないなあ。

唯一思いつくのでクラナドのラストで風子が言ったセリフだ。

「楽しいことは、これからはじまりますよ」

確かこんな感じのセリフだった。意味は、言葉の通りで、「楽しいことは、これからたくさんありますよ」っていう意味だと解釈している。

そういえば、最近、星座座占いで、こんな感じの占いがあった。

「日頃から自分が何気なくやってることが評価されはじめ、驚くかもしれません」

こう言われてしまうと、嬉しくも、悲しい気分になる。

なぜなのかというと、多くの人は誰でも、「誰にも褒められないし、評価もされない」ことを頑張ってるものだったりするからだ。

ここで、自分を憐れむという行為は、一種の本人が望む一つの形だったりする。つまり、こう考えるほうが楽なのだ。したがって、嫌々やってることではなく、自ら望んでやってしまうことも多い。

でも、このセリフは、そうじゃないって思わせてくれるので好きだ。

「私は誰にも褒められないし、評価もされないことでも頑張ってる」--いや、そうじゃない。

「楽しいことは、これからはじまりますよ」--だからやってるに過ぎない。

この言葉は、なんかもう一度生まれたようなそんな気分になるから好きだったりする。

セリフ集めてる人もいるのかな。私はこのセリフだけで十分だけど、そういうのを集めてみるのも面白いかもしれないな。

今回の記事、意味がわからないと思うけど、感覚的に思ったことを書いてみただけなので。

わかりやすく言うと、自分を憐れむような楽しみ方をする必要は全く無いってこと。確かに、こういうのは、楽だし、自ら望んでやってしまうことでもあるのだけど、それよりも、今までも、そして、これからも楽しいことはたくさんあるよって考えるほうが良いと思う。気分的に。


サイコパス劇場版の感想



サイコパス劇場版


面白かった。すごく面白かった。

私が作中で最も好きなセリフは、やはり、というかなんというか、今回もシビラが言ってたセリフだった。

外の世界では平和というものがどれほど希少な価値を持つものか、その目で確かめてくるいい。

改めて君も、シビラの偉大さを痛感することになるだろう。




人は何を求めているのだろうか。それは、正しさだろうか。

いや、違う。人が求めているものは、多くの場合、現状に対する維持や反発の心理に過ぎない。

この作品では、シビラの正体を知った人たちがそれを明らかにしている。

今までと違う何かに対し、それが正しいか否かではなく、それが今まで認識していたものと異なるものかどうかで人は判断し、そして、それが正しいかどうかは関係ない。しかし、それを正しいという言葉で表現する。

事実として、正しいものなどどこにもない。

過去、現在、未来においても正しいものなど一つもなかったし、ないだろう。

例えば、過去の日本政府も正しくなかったが、現在の日本政府もやはり正しくない。そして、同じようにシビラもやはり、正しくはない。

にも関わらず、シビラの正体を知った朱は、思った通り、シビラに対して、反発した。しかし、シビラも正しくはないが、同じように、今までも、そして、これからも正しい時など存在しなかった。では、なぜ、シビラは正しくないと感じるのか。

これは、過去が正しく、既知が正しく、逆に、未来は正しくなくて、未知は正しくないという感情に由来すると推測する。

ただ、朱は最後、結果がわかっている選挙について口を出した。この行動について、私はそれを支持する。

シビラは、結果がわかりきっているので、意味は無いっていうが、重要なのは結果ではなく、プロセスであり、そこに至るまでの経緯である。

特に、選挙や民主主義という制度において、それは昔から言われていることだったりする。朱は多分、このことを言っていたのだろう。法律でも議員立法はとても少なく、法律の殆どは官僚が作っているのだが、それを承認したのは誰か、または賛成多数で可決したのは誰かというのが民主主義制度では非常に重要だとされている。この点、結果がわかっていたとしても、選択したのは誰か、承認したのは誰かというのが非常に重要だということだろう。

「歴史に敬意を払いなさい。シビラ」

このアニメは非常にわかりやすいし、バランスもとれているので、とても面白い。

結果を重んじるシビラと、手段というか経緯を重んじる人間(あかね)が対照的だったように感じた。

本来的にどちらも重要なものだが、未来において、より結果のみを重視する傾向を予測し、それを警告しているようにも見えた。

ただ、シビラシステム自体は、権力を与えるにふさわしい人間を選びやすいという点で、今の世の中では、なかなか便利そうなのではないかと感じた。

不祥事で辞職する都知事が多すぎる気がするので、そういった判断は人間はもともとあまり得意ではないのかもしれない。