ブログにコメントシステムを付けた話


コメントをブログにつけてみることにしました。使用したのは、m2w/talaria

追記


結局外しました。コメントこないしね。

あと、以前、Bloggerでも使えるかもしれないと言いましたが、一つだけ注意点があると思っていて(実際は試してないのでわからないけど)、それは記事のURLです。デフォルトでは日付入りで20XX/XX/XX/articleみたいな形になってなければならなかった記憶。コメントのJSソースコードを修正すればいけると思いますが。


答えと真実


ここで言う答えというのは、ここで言う正しさや真実というものでは全く無かった。

多くの人は正しいことが答えだと結びつけるかもしれないけれど、私の中にはその感覚は皆無だった。

では、私が言う答えというものがどういう形なのかというと、それは、正しさでも真実でも、ましてや他人を納得させるためのものでもなんでもなく、単に、実現可能なレベルの最適解のことを言っているに過ぎない。

例えば、正しければそれが実現可能かというと、そうでもない。

そして、それらが実現できないようなとき、人はこう言うだろう。

「だったら、どうしろっていうんだ。どうしようもないだろ」と。

これは、正しいこと、本当のことなんて実は最初からわかってた時の言い草だった。

人間社会で言う正しさが、必ず実現可能なものかというと、そうではないのだと思う。また、社会的な価値観以外にも個人的一般的価値観で言われる正しいこともそうだろう。それは必ずしも実現可能なものではない。

しかし、私が考える答えというものは、そうではなく、実現可能なレベルのそれを言うことが多かった気がする。つまり、最短ルートの提示みたいな感じのものではないだろうか。ただし、人の一般的な正しさからかけ離れて理解不能だと思われるそれを、答えと称する事も稀にあるが、これは今回の話とは関係がないので、これについては省略している。

正しいことを言うのは簡単だし、真実を突きつけるのも簡単なことだ。

そして、多くの人がそれを理解し、認識している、と私はそう考えている。

なぜなら、多くの人はそれをつきつけられた時、妙に納得することが多いからだ。

これは、鏡を見ると、そこに映っているのが紛れも無い自分だということを理解していることと似ている。

「こんなの本当の私ではない」と否定しても、それは紛れも無くあなただ。

しかし、これが答えか、鏡に反射するものを読み上げるのが答えかというと、そもそもこれらは私が考えるそれではないことが多かった。

以前、こんな感じの話をしたことがあったような、なかったような気がするので、それの補足。


多くの人は本当のことを知っている


私は、多くの人は本当のことを知っているなあと感じることがよくあります。

例えば、人が正しさや真実をつきつけられた時の反応でよくあるのは「ほんとうは最初から知ってた」というものも多い気がします。それは、心の何処かでそう感じていたからこそなのだろうし、やっぱり最初から知ってたんだなーと感じることも多いのです。

また、人が人の話に納得するのもそういった側面があると思います。

納得というのは、その人の既存の知識やなんやをひっくるめて得られるものであって、なにもないところから得られるものではないからです。

ただ、だからこそ、甘い嘘に飛びつきやすいというのもあるのだと思います。

そういうのは、やはり、最初から知ってるからこその反応だったりするのではないでしょうか。

そんなことを思ったのでした。

おわり。


このすば


このすば、アクアが一番可愛いのではと思い始めてる。


認められるには


昨日の記事では、基本的にはあたりまえのことを書いたに過ぎないと思ってる。

つまり、「人に認められたければ、人を認めよ」と言ってるだけだから。

これは、誰もが論理的帰結から導ける答えであり、特別なことは何も言ってないつもり。

鏡のようなものを用いても導ける答えであり、鏡を使って導ける答えは答えではない。それは単純な反射に過ぎないと個人の中では決まっている。

まあ、正しくはあるが、面白い答えではないということなんだけど。

だからこそ、人に認められたくて仕方がない人ほど、なぜ人を認めようとしないのか、私はちょっと疑問に思ったりもする。

こういう人は勝ち負けで全部決めつける傾向にあると思う。だから、人を認めたほうが敗けと思っているのかもしれない。

でも個人的には(客観的には)、人を認めたほうが勝ちなのではと感じたり。旗から見ているとの話だけど。


すごいと思える人


ドラマとかアニメではよく「周りから立派に思われるような人間になりなさい」というセリフがある。しかし、私にはあまりピンと来ない。

したがって、

「すごいと思われる人より、すごいと思える人になりなさい」

私ならそう言うだろうと思った。

確かに、周りから立派に思われる人間は素晴らしいと思う。周りからそのような評価を得られることは難しいことだからだ。

しかし、私は、すごいと思われる人より、すごいと思える人のほうが素晴らしいと思ったのだった。


milligram


bootstrapからmilligramに移行してみたした。

後変更したのは、_config.ymlで以下。


include: [.htaccess, .htpasswd]

gems:

  • jekyll-redirect-from

      <br />

コメントシステムで気に入ってるもの


ちょっとブログをカスタマイズしてみようかなと思っています。このブログは結構シンプルな構成で、slimとかerb, hamlで書いてることを見る限りでは、勉強用ぽいです。


$ bower install milligram async m2w/talaria


distにあるファイルを適時読み込む。例えば、talariaの場合は、以下の様な感じ。talariagh-pagesに対応してないのかもです。commitを参照し、そこのコメントを読み込むシステム。

/bower_components/talaria/dist/talaria.css

/bower_components/bluebird/js/browser/bluebird.js

/bower_components/talaria/dist/talaria.js

注意


ここでのブログという表記はMiddleman and GitHub Pagesで作成したものを言います。このブログ、つまりBloggrではありません。注意してください。

当該コメントシステムは、Bloggerでも動かせると思いますが、しかし、Bloggerのソースコードの書き方、独特だからなあ。あまり触りたくないのと、そもそもコメントする人がいないというのがあるので、このブログには関係なさそうな話題だった...。


パズルを作ってみたけどパズルぽくなかった問題

前にちょっとパズルぽいものを初めて作ってみたけど、そういうの作るのもすごく難しくてパズル作れる人すごいなーと思ったのでした。おわり。

MBAのキーボードが壊れていってる


具体的には、jがへたりまして、中のシリコンが壊れました。本体と分離して不安定な状態。

なので、瞬間接着剤で慎重に取り付けました。これを間違うと機能しなくなるので、本気で慎重にやる必要があります。

で、1回目は失敗。重くなってしまって機能しなくなったので、あまり使わないキーのやつを本体から分離させて、jに置き換え、再度、接着剤で取り付けました。MBAは2台持ってる。

なんとか上手くいったみたいでよかった...。ただ、その際に2台目のMBAのfnキーを引っこ抜いたので、そちらが重くなってしまったなあ、まあ、仕方ないか。

現在、サブであるMBAのキーボードを相当程度移植する羽目になっています。

新しいの欲しいなーと思いつつ、最近のAppleは大丈夫なのかなーと思っていたり、新製品が安定してなさそうだったりするので、まあ、壊れてからでいいかという気にもなっていて微妙。


自分は正しいと思うこと


自分は正しいと思うことは悪いことでしょうか。

いや、全然悪いことじゃないです。

ただし、「自分は正しい」と思うこと、書くこと、これは迷いではありません。そこに迷いはありません。

じゃあ、私が書く記事はどうだっただろうと考えてみると、色々なパターンがあった気がしますね。

自分は正しいって書くこともあれば、思ってることを書くこともありますし、そう言います。

しかし、どちらが多かったのかというと、後者のほうが多かった気がします(私の中では)。

それが正しいかどうかはどうでもよくて、自分の世界観の表現、読み返してみると、そんな感じのものが多かった。

世の中色んなタイプの人がいて、自分と異なるタイプは間違っていて、自分のタイプは正しいと書く人もいれば、その逆をやる人もいます。

とにかく色んな人がいて面白いので良いと思います。


本当の迷い


迷いについての話。

多くの人って、基本的に迷わないのですよね。いや、確かに迷っているように見える人も多いです。例えば、Yahooに質問したり。でも、質問している本人は既に答えを出している事も多いわけで、彼らが何を求めているのかというと、一つは自分の答えへの共感や後押しだったりします。

そして、私が読んでいるブログなんかでも、書いている人の迷いというものが感じられる記事はほぼ無かった気がします。

では、本当の迷いっていうのは何でしょう。

これは、基本的に、何をすればいいのか、何が正解か、何が答えか、何が自分の考えか、分からないっていうことですね。そして、もう一つ重要なのは、「今現在」という時間軸での話であることです。

過去の自分を見て、「あの時は迷走してたなー」っていうのは、それは本当の迷いではありません。

そして、そういう場合、当時迷っていたことも稀でしょう。自分は正しいと思い、行動していたが、振り返って考えてみると、迷走してたなっていう話なだけで。

なぜわたしが読む記事に迷いが一切感じられないのかというのは、書いてあることがたったひとつのパターンに収束されてることが多いからです。

ここで、そのたったひとつのパターンと言うのは、何かというと、「自分は正しい」です。

つまり、多くの記事は「自分は正しい」と言ってます。

例えば、書いている人が自分を迷っている人間だと認識する場合の「自分は正しい」はこうなります。

「迷ってない人間は惰性である。自分はよく迷っていたので、惰性ではない。よって、自分は正しい」

分かりにくいですね、すいません。

しかし、言ってることは非常に単純です。

単純に、他者(大勢)を見下した上で、自分を持ち上げようとしたり、より高く見せかけようとする記事があったりして、やっぱり書いている人の個性が出るものだなと思ったりします(自分の書いたものを含めて)。こういう分析を行うと、ある人が書く記事はほぼ100%の確率でこうなってたりするのがまた面白いところだったりします(自分の書いたものを含めて)。

私は、これらを迷いだとは思いませんでした。

単にそう思ったというに過ぎない記事ですが、こんな感じで。

まあ、自分を正しいと思うことは別に悪いことでもないのだけどね。


孤独を武器に


サイコパス(アニメ)では、「孤独を武器に」という趣旨のセリフがあったと記憶しているが、私はこの台詞に違和感を感じたものだった。

セリフの主は、槙島聖護(サイコパス、ゼロの人)だったし、彼は特別な人間なので、そういう立場上のアレがあったのかもしれない。

反対に、私は特別な人間でもなんでもなく、ごくごく普通の人間であり、だからこそ、「孤独を武器に戦う」みたいなセリフに違和感を感じ、理解できないのも無理はないのかもしれない。

それでも、私が思ったのは、「わざわざ孤独を武器にする必要あるのか?」ということや「そもそも戦う必要あるのか?」だった。

孤独というものは、ある意味で自分が作り出しているというものであり、または、他者からの自分に対する認識だとも言える。

私はよく一人でいることが多いし、それを好むが、自分が孤独だと思ったことは全く無かったし、寂しいと思うことは皆無だった。

こうは言ってるが、私は、自分では割と社交的に振る舞えると思っているし、何らかの集まりや最初の頃は、積極的に人と話をしたり、聞いたりすることが多かった。

しかし、その積極性は、最初だけであり、長続きしないというのが、私という人間だったし、その性質も昔から理解をしていた。

こういう人間は、話せる人はある程度いるし、すぐに作れるけど、友達と呼べる人間は一人もいないのが通常だ。そして、時間が経過すればするほど、こういう人間と他者との距離感は圧倒的に遠くなっていくと思われる。

これを周りから見れば、孤独というのだろう。

しかし、私はそれを特別視する必要性を感じない。

むしろ、多くの人はマンガやアニメ、TVに影響されすぎているのではないかとさえ思う。

友達、友情、他者との関わりが大切だとは言うけれど、それがあまりに強制され、一般化されすぎているように感じる。そして、それは私にとって、当たり前のものでもなんでもなかった。

だからこそ、一般化されすぎた関わり合いからはじき出されたものが、孤独を特別視し、武器にしようとするものさえ出てくる始末なのではないだろうか。

私は、基本的に一人で遊ぶのが好きで、一人の時間を好む。私は、基本的に沢山の人達が一緒に遊んでいるのを外から眺めるのが好きだが、一緒に遊びたいとは思わない。私は、ごく稀に、一緒に遊びたくなって仲間に入れてもらうが、次の日には一人で遊んでいる。

そういう感じの、ごくごく普通の人なので、わざわざ「孤独を武器に」する人達の考えは理解しかねる気がする。


何かの質問



例えば、あなたは子供です。公園ではたくさんの子供達が一緒に遊んでいます。ここで、あなたはどう思い、どう行動しますか。

そういう質問があったとして、こういう質問で周りとの距離感が分かるような気がします。

私の場合は、基本、一人で遊ぶかな。ただし、みんなで楽しそうに遊んでいる人達を見るのも楽しい。だからこそ日常系のアニメとかも好きなわけで。

けど、仲間に入れてもらおうとは思わず、たまに入れてもらって遊ぶこともあるけど、次の日には一人で遊んでいると思う。

こういうのを孤独かというとちょっと違う気もしていて、また、孤独を武器に戦うというセリフもあったりするけど、なんじゃそりゃと思ったことを思い出したりした。仮に、孤独がとてもつらいことであるがゆえにそれが修行となりとても強い武器になるみたいなこともない気がする。そんなことを思ったのでした。おわり。

周りと自分



周りは少なからず自分の心を乱し、そして、自分も周りの心を乱すこともあるでしょう。

ここで、人が取りうる行動はたくさんあります。

そして、人によって出せる答えも変わってきます。私の場合。

特にこういった問題の場合は、そういうこともあるということで。

例えば、周りの人達を見下すような性質が変えられない人には、私は、その性質を利用するのが一番良いとそう答えるでしょう。

正直、周りなんて気にする必要はないと思うのだけど、どうしてもそれをやめられないというような場合、無理に深呼吸したり、呼吸を整えようとしたりするのではなく、自身の反発精神というのかそういうのを利用するのが一番賢い方法だと思います。

つまり、「周りの人たちは、自分の心を乱そうとしている、貶めようとしている」とそう考えれば、反発性新旺盛な人は、その逆をやろうとします。なんとしてでもその思惑に嵌ってたまるかとそう考えるはずですので、その性質を利用するということです。

ただし、これには弊害もあります。

どのような弊害かというと、既に推測してる人もいると思われますが、周りの人達がいい人ばかりだった場合、その人は完全に崩壊するでしょう。

また、反発性新旺盛な人ほど、その思想をコントロールされやすいものはありません。炎上商法なんかもその性質を利用するものもたくさんあるわけで、ひとことで言うと、こういう人達ほど逆にコントロールされやすいのだと思います。

世間が正しかろうが、間違っていようが、とりあえず反対のことを言っておけば納得しやすいのですから、これほど簡単なことはありませんよね。

まあ、このやり方がうまくいくかどうかはわかりませんが、周りによって心が乱されることが多いような環境にいる場合で、かつその人自身が反発性新旺盛な人であるならば、私は、「周りの人たちはあなたの心を乱そうと企んでいるとそう考えるといいよ」とそう言うでしょう。私が出した答えはこんな感じだったので、適当に書いてみました。

同じようなことを繰り返すよりは、自分を知ってるのに、その情報を使わないのは、私としてはなぜなのかよくわからないなあと思います。

その情報は、答えを出すときには常に使うべき情報だと思われます。だからこそ、自分を知ることの優先順位は非常に高いです。

そして、よく逆指標を使って物事を判断する人は、反発精神が強い傾向にあると私は思います。「世間で頭がいいと言われるものは、逆に悪いよ」、「世間で健康によいと言われるものは、逆に悪いよ」というようにですね。

私の場合、割りと、その物事そのものに反発した結論を出すのではなく、ある意味で内容重視な側面が強いです。

まあ、これも世間から見たら、とてつもなく冷たい考え方なんだろうなとは思います。そうですね、私はとてつもなく冷たい物の見方をします。私の場合、世間は間違ってるっていう反発ではなく、世間なんて知るかっていう感じなので、まあ、そうなります。

そして、この「知るか」っていうのもニュアンス的に捉え方が難しいと思うのですが、個人的な感覚から言うと、あまり気にしないって感じかなあ。世間的にどういうものであろうと、正しいものは正しいって言うし、間違ってるものは間違ってるってはっきりいいますよ、くらいの意味。


心と呼吸


呼吸を安定させること、そして乱れなくすることは非常に重要だと思われます。

しかし、難しいですよね。今までどれだけの人がこれに取り組み、そして止めていったのでしょう、続かなかったのでしょう。そんなことを考えると、とても難しいことのように思います。

呼吸とは自然な行いです。そして、自然な行いを変えるのは、潜在的には難しいことです。たとえ気づいた時だけ直しても、根本的には変えられない。

こう考えると、呼吸というものは、心というものに似ています。

どちらも自然かつ無意識的な領域のものだからです。

ここで、心を変えることと、呼吸を変えることのどちらが簡単で、どちらが難しいのでしょうか。

答えとしては、呼吸を変えることのほうが簡単ですが、効果が薄く根本的な問題解決は難しいということと、心を変えることは難しいが、それによって根本的な解決が可能となる、という感じだと思われます。


心の中を覗かれて困る人


私は今まで、心のなかを覗かれて困る人なんて、本当にいるのかなーと、どことなく、そういう風に思ってた気がする。

多くの人の心のなかなんて、普通は、可愛いもんなんじゃないのーと、そう思っているし、多分、そんなに困る人なんていないと思う。

いや、自分の心が清く正しいなんて思ってはいない。

ただ、なんて言えばいいのか分からなけど、正直、心のなかを覗かれても、そんなにごちゃごちゃ散らかってるとも思えず、はっきり言って、ほとんどなにもないというか、覗かれても、殆どの場合、なにもないのが通常なんじゃないかとそう思っているのだろうなーと。

そりゃ、嫌なことを考える時もあって、そんな時に覗かれたら嫌だろうけれど、しかし、ほとんどの人は、そんなこと滅多にないわけで、やっぱり、心の中を覗かれて困る人はそんなにいないと思うし、ごくごく少数なのではないかなと、そんな風に日頃感じています。

大抵の時間というのは、人にとって何かに没頭してたりで忙しく、そんな他人の嫌なこと(他人にとって嫌なこと)考えてる時間ないと思う。


面白いこと


自分が書いた過去記事を読んでいて、心の底から面倒くさいと思いました。

おわり。



例えば、学歴が頭の良さ、本当の頭の良さに関係してくるのかというと、私は、必ずしもそうは思いません。

しかし、本当の「関係がない」ということを勘違いしている人もいるかもしれないので、今回はそんな話。

実は、関係がないというのは、あくまで関係がないということであって、逆指標には成り得ません。

世の中にはいろいろな人がいるもので、あたかも学歴が本当の頭の良さと関係があるように考えている人もいれば、それとは全く逆で、学歴がある人間は、どこか曲がっていて、頭が悪いと考えている人もいるようです。

そして、学歴=頭が良くないと考える人が言うには、「学歴は頭の良さ、本当の頭の良さとは全く関係がない」らしいのですが、しかし、この場合のそれは、全く関係がないということにはなりません。

また、プロスポーツ選手の健康についても、逆指標を使って、プロは怪我や故障ばかりだというのだけど、正直、それが日頃から行っているトレーニングの良し悪しと関係あるのかどうなのか、私には分かりません。

本当のところを言うと、学歴があるにしろ、学歴がないにしろ、頭が良い人もいれば、悪い人もいるのが通常だと思われます。

反対に、プロスポーツの人もそうで、一般人でも健康な人もいれば、不健康な人もいるでしょう。果たして、学歴がある人間ばかり頭が悪く、また、プロだけが不健康なのでしょうか。極端に考える人の意見というのは、大抵の場合間違いで、それは確率から言っても説明できるのだけど、そういう視点で物を物事を見ることがない人もいて、それはそれでいいんだけど、そういったセンセーショナルな言い方のほうが受けがよく、人気が出るので困ったものだなとたまに思うことがあります。

例えば、確率的な視点で物を見るというのはどういうことでしょうか。

一つは、自然的な現象がどのような確率で形成されているかを考えてみてください。それはバランスの取れたランダムに見えるようで、関係性があるような微妙な形を形成します。

そもそもあらゆる自然現象が確率的にピッタリと当てはまるならば、未来予知が可能なはずですが、現時点ではそうはなっていません。地震予知や津波余地など。また、例えば、プロは100%の確率で不健康とか、学歴がある人間は100%の確率で頭が悪いというような統計が存在するとは到底思えませんし、もしそんな単純な世界構造なら、この世界は単純なバカが作ったバランスが悪いシステムになっていることになります。

しかし、現実問題、この世界は極めてバランスが取れ、循環するシステムを構築しているように見えます。つまり、人間が思っているほど単純ではないのです。

体の構造一つ見ても、やはり、そうそう単純ではありません。健康や頭のよしあしについても、単純にこうだからこうというわけにはいきません。単純な逆指標のみにも傾きません(もちろん、逆指標として傾く時もあります)。

そして、本来、「関係がない」と考えることは、例えば、学歴がなくても頭がいい人もいれば、悪い人もいるし、学歴があって頭がいい人もいれば、そうでない人もいる、そのように考えることが、「関係がない」ということなのではと思ったので、適当に書いてみました。

物事を人間の脳でも処理しやすいよう単純に考えることは大切ですが、実際問題、あらゆる物事もこの世界自体も、そんなに単純で明解ではありません。もし単純で明解なら、とっくの昔に賢人が解読しているはずです。しかし、そうはなっていません。

この世界もあらゆる事象も、大抵の場合、0か100ではありません。確率的に見てもそうである確率は低いでしょう。

もちろん、ある種の傾向は伺えるかもしれません。例えば、学歴がある人は頭が良い確率が高かったりなど。

ただ、私は、目の前の物事を判断する際に、あまり先入観は持ちたくないと考える傾向にあり、そのため、関係がないと思うようにしていることも多い気がします。

しかし、実際問題、あらゆることが関係してくるのでしょう。世の中には全ては必然だという人もいて、一つの側面に確かにそれは正しいことだと思います。

けれど、私にとっては、そこまで仔細に解析することも、また解明したり、それを表現することも難しいため、自分としては、やはり、「それらは関係しない」と考えるのが一番適切だろとそう考えています。

すごくわかりにくい話をしてしまいましたが、今回の話はこれでおわりです。おつかれさまでした。


jot-command


jotは乱数作成コマンドです。ただし、2回ほど同じものが作成される確率が高いので、注意。

Arch Linux



$ curl -O https://raw.githubusercontent.com/axilleas/aur-mirror/master/athena-jot/PKGBUILD
$ # 実際はダブルクオーテーション必要
$ echo 'package(){make DESTDIR=$pkgdir install}' >> PKGBUILD
$ makepkg

$ pacman -U athena-jot.pkg.tar.xz
or
$ cd src/athena-jot
$ sudo make install
$ sudo cp jot /usr/local/bin
$ exec

5-10までの乱数を1回作る

$ jot -r 1 5 10



小さなことから


なんか最近、やたらとスケールが大きな話ばかりしてしまったので、しばらくは、小さく手短な問題でも書いてみようかなと思っています。

こうは言ってますが、小さなことでも、大きなことでも、その本質はあまり変わりません。

まずはそこ話しからですが、じゃあ、小さなことって一体何なのだろう、大きなこととは一体何なのだろうという疑問から。

ここでは、小さなことの集合体が一般的に言われる大きなことを意味します。

例えば、iPhoneあるじゃないですか。iPhoneで部品の集合体です。

そして、個々の部品が一つ一つ完成されたものだからこそ、iPhoneも完成されたものだということです。

多少は欠けたり、増したりする部品(上下のこと)はあってもよいかもしれませんが、大きく欠けてしまうものが一つであると、全体としてダメになってしまう的な話です。反対に、完成されたものは、幾つもの完成された部品で成り立っているという話でもあります。

ここで、小さな物事を一つ一つ完璧にこなすと、やがて、大きな完璧が出来上がるでしょう。これは当然のことです。

ただし、忘れてはならないのは、成功と小さな物事にこだわることとは直接的な関係はありません。「言われた小さなことをちゃんとこなしていれば、やがて大成功する」とは考えないほうが良いです。

なぜなら、この場合、部品を組み立てるのはあなたではないから。この場合のあなたは、小さな一つの部品に過ぎません。完璧ではあるものの、それ自体が集合体ではないのです。

確かに、小さな完璧な部品を製造しているメーカーもiPhoneによって多少の恩恵は受けていると思われます。

しかし、その利益の大半は、あくまで、集合体としてのiPhoneを組み立てて売る人達の手に渡ります。

ちなみに、iPhoneが売れるのはOSが良いからという理由も大きいので、これはあまり良い例ではないかもしませんが、言いたいことは伝わったと思います。

つまり、小さなことは大切だし、大きな流れというか、全体像の把握も大切だということです。

どちらを重要視するかは、やはり、その人に合うか合わないかという問題でしょう。


最近のボカロ事情


最近、YouTubeで情報を集めるようになりました。そんなこともあり、こんな感じのコマンドを使って情報収集してる気がします。

自分のマイリストは変更があれば自動で更新されていくようになってます。もしよろしければ参考にしてみてください。


$ curl -sL anicat.gitlab.io/vocaloid/url.json | jq .

$ curl -sL anicat.gitlab.io/vocaloid/mylist.json | jq .


UserAgentの設定



$ chromium --user-agent=$agent



$ cp ~/.mozilla/fierfox/xxx.default/prefs.js ~/.mozilla/fierfox/xxx.default/prefs.js.backup

$ cp ~/.mozilla/fierfox/xxx.default/prefs.js.backup ~/.mozilla/fierfox/xxx.default/prefs.js

$ echo user_pref(general.useragent.override,$agent); >> ~/.mozilla/firefox/f1srmwne.default/prefs.js


agent : https://github.com/opudalo/useragent-list/blob/master/src/useragents.xml


無という概念


「無」という概念というか、この言葉について感じることを書いていきたいと思います。個人的な考えというか。

まず、私はこの存在の世界には、「無」というものは存在しないと思っています。存在の世界では、常にそこには何かが存在している世界です。したがって、絶対的ゼロという数字、または無という概念、存在しえないとそんなふうに考えているのです。

多くの人が考えている「無」のイメージは私にとって、それは「無」ではありません。なぜなら、真っ暗な空間、何もない空間であっても、そこに空間があるかぎり、それは無ではないからです。それは、真っ暗な空間というものが存在している存在の世界の一部です。

したがって、私達は、本当の無というものを知りませんし、理解できません。そんなふうに考えているのです。

例えば、宇宙は無から始まったという考え方があります。なにもないところからいきなり大爆発が起きてという説明です。ビックバンというのでしょうか。

ただ、私は、宇宙の始まりが何もないところからいきなり始まったという考え方を基本的にはしません。

私は何かがあって、単にそれが広がっただけだという考え方をします。

前に説明したことがあるかもしれませんが、宇宙の始まりを私はよく創造種という言葉で表現しています。

えっと、既にこの説明したことがあった場合、再度説明するのはあまりにバカバカしく見えるので、簡潔に言います。種ってありますよね。イメージとしては植物の。で、その種を土に植えて、日光に晒し、そして水をやると、どんどん成長しますよね。あんな小さなものがこんな大きくなります。例えば、あなたがもしアリのサイズだったとして、自分と同じくらいの大きさだった種が、やがてめちゃくちゃ大きくなります。信じられないくらい大きくなります。びっくりするほどに。でもこの種ってひとりでに大きくなったものなのでしょうか。それは違いますよね。具体的には土や太陽、水があってこその成長だったのです。これは宇宙の始まりにも言えることだと私は考えています。つまり、めちゃくちゃ小さかった宇宙の始まりをもたらした種は、宇宙の外側にある世界のエネルギーによって、すくすくと育っている(現状として)。だけど、それは内部にいるものからするとわけがわからない、そんな感じの考え方です。これは一般的ではないかもしれませんし、私が勝手に言ってるだけの話ですし、私はあまり宇宙関連の本を読まないので、現在、どういった考えがあるのか知りませんけれど(興味もない)。

話を戻します。

ここで、宇宙の始まりでさえ私は無だと考えません。

なぜなら、なにもないところからは何も生まれないとそう考えているからです。

最初からなにかあった、そう考えるのです。

なので、私が考える世界観、存在の世界では、本当のゼロというものは存在せず、無というものも存在しません。

常に何かがあり(存在が)、存在が存在で有り続ける世界。そんな感じ思ってます。

おわり。


blog



もう2週間たったのか...


ブログをほったらかしにして、もう2週間が経ちました。



amazon-ebook-sim-500m



500MBまで月額無料で最大月1600円/5GBのSIM(so-net)


http://www.amazon.co.jp/dp/B019OBM25Q/

デジモノステーションという雑誌を買った。

目的は、付録のオリジナルSIMカードで、内容は見出しの通り。ただし、IIJと違い使わなかった分がストックされないのが辛いとは思うけど、持つ分には問題なさそう。

正直、so-netというか、ソニーがやる事業に関しては胡散臭さしかないという印象があるので、怪しんでるけど、とりあえずは雑誌だけは買ってみた。

ちなみに、私はデータ通信で月々500MBも使うことが殆ど無い。いや、正確には、Wi-Fiを繋げない環境下でのデータ通信で月500MBも使うことは少ないと言ったほうがいいか。基本的には外でもWi-Fiで繋げられるなら繋げてるし、家ではもちろんWi-Fiだ。

なので、そもそもの所、一般人がキャリアと契約して月々6000円もする定額基本料金(通話料別)を支払う必要性に疑問を持っている。みんな、そんなに通信が必要なのだろうか。または、通信が頻繁に必要だったとしても、Wi-Fiが繋がらないような特殊環境下で通信する事がそんなに多いのだろうか、そう思っている。

したがって、このような志向のSIM Cardは、一般人の私には合ってる気がする。

ただし、このような明らかにお得なサービスは、怪しさも十分にある。それが、一般的なキャリアとの契約と比較して、相当マシな部類に入るとは思うが、それでも、一定の用心は必要だと思われる。

契約内容としては、解約料不要で、違約金もかからず、いつでも解約可能である。しかし、契約が必ずしも履行されるとは限らない。この点については、契約内容ばかりに言及しており、安心だと言ってる人がいるけど、契約はあくまで契約だ。後々変更される可能性や履行されない可能性もあり、その場合は、個人消費者としては割とどうしようもない。先方が債務不履行を発生させたとして、その場合、訴訟提起や裁判費用、時間的損失及び、勝訴した時のメリットなどが少なすぎて、そこまでして請求する人間は普通いないだろうと考えられる。反対に、so-netは個人情報を収集することだけを目的に発案したのかもしれない。その場合、目的が達せられた時点で、契約が守られない可能性がでてくる。

まあ、必要だと思った人は、その点を留意し、申し込めばいいと思う。


heroku-free


HerokuをFreeで上手く使うには、1日にアプリを6時間休ませる必要があり、かつ30分リクエストがないと、Sleepしてしまうようなので、例えば、5分ごとにリクエストを送る、アクセスするという仕組みが必要になってきます。
以下、そのためのコマンドとかを紹介。

まずは前提で、redistogoを追加して、Freeで設定したり、スケールを最小に設定したりします。


add : credit card

$ heroku ps:scale web=1
$ heroku addons:add redistogo:nano



次にスケジューラーの設定です。


$ heroku addons:add process-scheduler
$ heroku addons:open process-scheduler

H24-H6=0


$ npm i hubot-heroku-keepalive -S
$ vim ./external-scripts.json
hubot-heroku-keepalive
$ heroku addons:create scheduler:standard
$ heroku addons:open scheduler

curl ${HUBOT_HEROKU_KEEPALIVE_URL}heroku/keepalive

H24



まあ、こんな感じで。連続で稼働させたいなら、2つのBotを交代させながら使うとか。


github-orgs-rss


OrgsのFeedは、Private Tokenが必要みたいです。他に取得する方法ってないのかな。


https://github.com/organizations/$team/$user.private.atom?token=xxxxxxx==



hubot-twitter-and-rss


SlackにもHubotを使っていろいろな情報を流してみたいです。ということで、とりあえず、TwitterとRSSを流してみることにしました。

https://github.com/estiens/hubot-twitter-mention-v2


$ npm i hubot-twitter-search -S
$ vim external-scripts.json
hubot-twitter-search

$ heroku config:add HUBOT_TWITTER_CONSUMER_KEY='Your–consumer-key-here
$ heroku config:add HUBOT_TWITTER_CONSUMER_SECRET='Your-consumer-secret-here
$ heroku config:add HUBOT_TWITTER_ACCESS_TOKEN_KEY='Your-access-token-here
$ heroku config:add HUBOT_TWITTER_ACCESS_TOKEN_SECRET='Your-access-token-secret-here
$ heroku config:add HUBOT_TWITTER_MENTION_QUERY='検索キーワード
$ heroku config:add HUBOT_TWITTER_MENTION_ROOM='general


https://github.com/shokai/hubot-rss-reader


$ npm i hubot-rss-reader -S
$ vim external-script.json
hubot-rss-reader

slack command

@bot_name help
@bot_name rss add url
@bot_name rss list
@bot_name rss delete url



手順は何となくわかると思います。


slack-slackin


Slackは招待制ですので、自動招待にしてくれるSlackinを使ってみました。

https://github.com/rauchg/slackin

同じくHerokuのDeploy Buttonがあるので、それで。

手動でやる場合は以下。


$ npm install -g slackin
$ slackin $your-team-id $your-slack-token


hugo-github-branch-wercker


werckerでdeploy:が実行されなかったので:buildで書いた時の話。


box: wercker/default
build:
steps:

- arjen/hugo-build:<br />    version: '0.14'<br />    theme: $hugo_themes<br />    flags: --buildDrafts=true<br />- script:<br />    name: Deploy to github pages<br />    code: |-<br />        cd ./public<br />        git add .<br />        git commit -m '$co_message'<br />        git push -f $repositry_url master<br />



追記 : 現在は色々変わってると思います。